この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

松岡さんの千夜千冊は2000年2月に始まった。毎夜一冊を松岡さんが確立した編集工学の編集術をもって鋭く切り抜いていく。原著と関連のある多くの書物も俎上に上り、原著とともにずたずたに切り刻まれ跡形が見えないほどになるが、気が付くと原著は二倍のページ数の大著になっている。まるで数学のバナッハ=タルスキーのパラドックスのようだ。実はこのパラドックスは定理である。3次元空間の球体を有限個に分割して回転と平行移動だけを許して(すなわち合同変換をして)組み替えると元の球体と半径が同じ球体が二つ作れるという定理なのである(実際は2個以上も可能)。そう、数学ではこういう一見非常識なことがちゃんと証明されている。だから、私は松岡マジックを見ても驚かない。それどころか、そこにこそ思考の価値、ヒトの脳のなせる業を見るのである。松岡マジックによって原著の価値が倍増する。こうなると、千夜千冊を読んで原著を読みたくなって書店に駆け込んだ人が大勢いるはずだと想像できる。それこそが松岡さんの狙いだったのかもしれない。さらに言えば、松岡さんの読み自体が実際に価値を倍増させている。『知能の物語』(公立はこだて未来大学出版会、2015年)の著者、札幌市立大学学長の中島秀之(出版当時は公立はこだて未来大学学長)はこの本を松岡さんが赤線をいっぱい入れて読んでいたことで原著の価値が倍増したと、入学式の学長式辞でそのことに触れ、編集工学研究所が許可したPDFを新入生全員に配布した。一本の赤線に面影が写されていることの証左として記憶したい。2024年7月18日の1850夜までまさに千日回峰を思わせる荒行がネットを賑わしたのは松岡さんの手入れの効果である。私は芭蕉よろしくこの松岡流の千日回峰をネットのバーチャル空間である虚から世間という実への射影とみていた。その写像の行先(価値)の一つが角川ソフィア文庫の『千夜千冊エディション』である。
『知能の物語』のセイゴオ・マーキング。図版の中にもマーキングが仕込まれている。
提供:松岡正剛事務所
松岡さんは多読の権化だが、実は私は少読である。若いころ(高校生から大学院生あたりまで)は数学や物理に夢中になるあまり、それ以外のことに気を向けるということがなかった。専門書以外はまさに気晴らしで、小説、評論、随筆、漫画、哲学・思想、美術などの書物を気の向くままに食い散らかしてきただけなのだ。数学をベースに脳研究を始めたときも脳神経科学、ニューラルネットの数理、認知科学、AIなどの専門書や解説本に限っては多少は読んできたのだが、その他の分野に関しては多読とは程遠く、今日に至るまで少読から抜け出すことができないでいる。加えて、研究者としては最先端の学術論文や歴史的な論文を精読する必要がある。多くの分野でもそうだと思うが、数学と理論物理学では特に一つの論文を読んで理解するのに時間がかかる。多読はむしろ独創的な研究には向かない方法である。このようにして、研究者としての経験を積めば積むほど少読スタイルが身についてくる。だから、自分が松岡さんが命名した「多読アレゴリア」にクラブを持つ立場になるとは、何とも皮肉なことだと思っている。
こういったことを考えていたら、そもそも私は他人に比べて本を読むのが遅いということに気が付いた。いや、昔から気が付いていたのだが、できるだけそれを意識から遠ざけようとしてきた。これが少読の原因の一つになっていることは間違いない。なぜ遅いのだろうか。それは、本を読むときに心の中で声を出して読んでいるからである。私は音読以外したことがない。黙読をしているときでも心の中で音読をしている。音から離れられないのである。だから、読むスピードは実際の会話と同じスピードにならざるを得ない。子供のころから成長していないのである。これも「ネオテニー」か(『千夜千冊』第1072夜、『千夜千冊エディション 心とトラウマ』pp.114-130。『千夜千冊』と「エディション」いう表題はこの連載を通じて共通項であるので、以下これを省いて引用する)。これは明らかに少読の原因になっている。もう一つ原因がありそうだ。良い本を一冊熟読すれば、他は推して知るべし、という考えから離れることができないでいることだ。上にも述べたことと関連するが、これは理系分野の勉強ではある意味真理である。“一を知って十を想像できる”ようにトレーニングするのである。多読とは程遠い方法である。
『遊刊エディスト』の連載を「『千夜千冊エディション』を読む」というタイトルでどうでしょうかと編集部から頼まれた。『千夜千冊エディション』の改題など恐れ多くてできないが、この編集部が引いた流れに身をゆだねることが心地よいと思ったので、「エディションをなぞる」だけならできるだろうと自分に言い聞かせた。そこで「なぞる」をしゃれて、「謎る」とした。『エディション』を読みながら、連想したこと、疑問に思ったこと、想像したことに触れて、勝手気ままにあっちに行ったりこっちに来たりと、時には謎かけをしながら今度は松岡ワールドという実空間を虚に射影して松岡さんの思想の面影に遍歴して遊ぼうと思った次第。
松岡さんはトラウマの哲学、トラウマの思想、トラウマの社会学とでも呼ぶべきが深まっていないと嘆く。それを少しでも深めるための取っ掛かりとして、宮沢賢治の作品を解離性障害から分析する柴山雅俊の『解離性障害』(ちくま新書)に注目する(第1593夜、『心とトラウマ』pp93-110)。賢治の詠んだ歌「ぼんやりと脳もからだも うす白く 消えゆくことの近くあるらし」や「うしろよりにらむものありうしろより我をにらむ青きものあり」を引用し、柴山が解離性の面から賢治を見ることが新たな賢治の表現に対する分析につながるとしたところに注目した。しかしながら、松岡さんはこれに満足していない。賢治のこの感覚がどんなトラウマに由来するのかが解明されていないと嘆き、日本の近代文学が未解明のトラウマの上に成立していったと指摘する。
宮沢賢治(写真前列左)が「うしろより我をにらむ青きものあり」と詠んだ、盛岡中学校時代の岩手山行。
出典:『新校本 宮澤賢治全集 第16巻』
私は若いころは夏目漱石、芥川龍之介に並んで宮沢賢治が好きだった。漱石や芥川は珍しくほとんどの作品を読んでいるのだが、賢治に至ってはごくわずか。『雨ニモマケズ』を読んで好きになったが、その後が続かない。『銀河鉄道の夜』を読んでいるうちにくらくらしてきた。理科系的なものは専門で十分と思っていたからかもしれないが、彼の文章表現にスノビッシュなものを感じたことが大きかったのだろう。それでもどうしても覗いてみたくなって、『風の又三郎』、『注文の多い料理店』、『春と修羅』などを覗いては閉じ、閉じては覗きを繰り返すうちに積ん読状態になった。その後本棚に忍び込ませたが、背表紙を見るだけで満足するのが日常になった。だから本棚が好きである。
こんな状態だから、賢治について詳しいわけではないのだが、柴山の説には違和感がある。「うしろ」に誰かいる感覚は統合失調症(第684夜、『心とトラウマ』pp.131-141;第1546夜、同pp.142-163)の特徴でもあるからだ。実際、解離性障害は統合失調症と多くの類似した点があるようだが、脳の神経活動のある種の表現を自己としてとらえるか他者としてとらえるかという違いがある。例えば、幻聴が脳の内部にあり幻聴だと認識できるのが解離性障害で、幻聴が脳の外にありそれが自分ではなくだれか背後の他人であるという感覚が統合失調症であるとされている。統合失調症が進行すると、うしろにいる誰かが自分を命令し、自分の意志とは無関係に何かをさせられる。他方で、解離性障害は人格の乖離が特徴なので、その進行は離人症や多重人格へと移行する。私はこういった症状の進行が何によってもたらされるのかを次のように考えてきた。脳に入力される感覚情報に対する自己所有感の喪失が極まった結果、自己そのものに対する自己所有感の喪失が生じることによるのだと。感覚情報、特に体性感覚情報への自己所有感の欠如により身体を自己認識できなくなると離人症になり、自己そのものへの自己所有感の欠如は多重人格を呼び起こすのではないか。さらに、自己が他者に乗っ取られ自己を他者と認識するようになるのが統合失調症ではないか。
このように考えると、果たして賢治の作品は究極において身体や自己そのものへの自己所有感の喪失をもたらす解離性障害からくる何者かなのだろうか。私はここに違和感を覚えるのである。
賢治は幼少期に赤痢などを患い胃腸が弱かったようだ。最近になって明らかになってきたことだが、脳腸相関(あるいは腸脳相関とも呼ばれる)といって腸と脳は密接に関係している。互いに助け合っている。腸だけではない。内臓と脳はソマティックマーカーを生成しながら緊密に情報交換をしている(第1305夜『無意識の脳・自己意識の脳』、『心とトラウマ』pp.228-256)。特に幼少期の胃腸障害は脳に何らかの影響を与える可能性があるのだ。幼少年期における赤痢のような腸の病は他の内臓へも影響を与え、それによるトラブルからトラウマを誘発する可能性すらある。漱石もやはり胃弱だった。胃腸に障害のある人は内臓感覚、すなわちソマティックマーカーが鋭いのである。
私は日本の近代文学を逍遥したわけではないが、少なくとも漱石を見ると西洋と東洋の葛藤が見えてくる。ロンドン留学は漱石にトラウマをもたらした。背丈が低かった漱石からはイギリス紳士は2倍もあるように見えただろう。専門の英文学研究はちっともはかどらない。しかも漱石の英語がネイティブに通じない。物価の大きな違いで文部省からの給付金では極度の貧困生活を送らざるを得なかった。孤独な異国での貧困生活で極度の神経衰弱になっていく。イギリス人は漱石を神経衰弱だと言い、日本人は漱石を狂人だと呼んだ。ロンドンでの神経衰弱にして狂人の生活の中で、漱石は自分が専攻してきた英文学がそんなに偉いか、と疑問を持つようになる。西洋と東洋の文学には根本的な違いがあるのではないかということに気づいていく。そこで、東洋人、アジア人としての日本人である自分は漢文を基軸にして文学を打ち立てるという決意をするのである。漱石自身、神経衰弱にして狂人であったからこそ小説を書くことができたと告白している。ロンドン生活がトラウマになり後世に残る作品を次々と世に送り出したのである。実際、漱石の作品にはこの西洋と東洋の違いと思われる描写が頻繁に出てくる。西洋の論理と東洋の美学、きっぱりとした物言いをする女性(西洋)と優柔不断な男性(東洋)、西洋の長大な詩と東洋の短小な俳句や和歌、西洋の機械文明と東洋の自然(じねん)文化、西洋哲学と東洋思想などなどである。
『吾輩は猫である』を読むと面白いことが分かる。一つだけ例を挙げよう。水島寒月という理学者は年中ガラスばかり磨いて何の研究をしているのだか、ちっとも成果が出ない。しかし、本人はいたって平気である。寒月は漱石門下を自任して漱石の木曜会にちょくちょく顔を出した物理学者寺田寅彦がモデルである。漱石にとって寺田は西洋の物理学の知識を仕入れるのに格好の窓口であった。対して、迷亭という美学者はいつも酩酊しているようなことばかり言っているが、こちらも平気の平左である。漱石自身がモデルになっている珍野苦沙弥と彼らの問答によって、西洋の物理学を面白がりその根本を(寒月から)学ぼうとする反面、西洋合理主義を(迷亭の口を借りて)揶揄しているようにも見えるのだ。
明治の人たちは多かれ少なかれこの西洋と東洋の間で悩んだ。明治のほとんどすべてと言っていい人たちにとって西洋自体がトラウマだった。科学者は特にそうだった。数学は和算の歴史が江戸時代にあったことから、比較的すんなりと世界に通用する“日本人数学者”を輩出した。医学も江戸時代にオランダ医学が入っていたことで明治になってドイツ医学にすんなりと順応できた。なかなか大変だったのが物理学である。所謂“文明開化”するまではこんな学問はなかったのだからまさにゼロからの出発だった。まず長岡半太郎が苦しんだ。東洋人である自分が西洋の物理学を習得するだけではなく、その上に独創的な研究を成し得るのか。長岡は東京帝国大学の最終学年であった3年生の時に一年休学を申し出て、その間東洋の文献を読み漁った。そして、『荘子』にたどり着く。そこでは西洋の合理的思考に匹敵する合理性が貫かれていた。この”発見“によって長岡は”物理学を男子一生の仕事“とすることを決意するのである。
長岡半太郎(左図)は土星型原子核モデル(右図)を提唱した明治期の物理学者。中国の古い文献にオーロラの観測記録や微分の観念がすでにあったことに感銘を受ける。弟子の湯川秀樹は日本的科学を打ち立てようという志を持つ大先輩に<荘子好き>が共通していることを「偶然の一致以上の理由があるに違いない」と述懐していた。
出典
左図版:「高校生から味わう理論物理入門」より
右図版:「Getty Images」より
漱石門下でもあった寺田寅彦も西洋と東洋の間で悩んだ。寅彦はX線回折の研究でノーベル賞級の業績を上げるが、結局ブラッグ父子を超えることはできないと悟り、二度と西洋の学者と競争しないと決意し、独自の物理学を確立する。それが「割れ目」の研究だった。すべて身の回りの物理現象を「割れ目」という観点からアナロジーを論理で埋めることによって探求するという方法を編み出した。後に寺田物理学と言われる西洋を一歩リードする複雑物理系研究の創始者になったのである。この寺田の「割れ目」に松岡さんが切り込んでいる。しかもミンスキーの『心の社会』(第452夜、『心とトラウマ』pp.257-267)のところで。次回は私なりにここから切り込んでみたい。脳の解釈学として『心とトラウマ』を再び謎ってみたい。
図版構成(カオス的編Rec):梅澤光由、稲垣景子
アイキャッチデザイン:穂積晴明
参考情報(図版)
伝記映像by科学技術振興機構
長岡半太郎伝(国立国会図書館デジタルコレクション)
随想全集 第9巻 (石原純,朝永振一郎,湯川秀樹集)「長岡先生の休学」p369
『日本科学技術史大系第八巻』「中学卒業後の指針」p398
長岡半太郎『物理學革新の一つの尖端』
津田一郎
理学博士。カオス研究、複雑系研究、脳のダイナミクスの研究を行う。Noise-induced orderやカオス遍歴の発見と数理解析などで注目される。また、脳の解釈学の提案、非平衡神経回路における動的連想記憶の発見と解析、海馬におけるエピソード記憶形成のカントールコーディング仮説の提案と実証、サルの推論実験、コミュニケーションの脳理論、脳の機能分化を解明するための拘束条件付き自己組織化理論と数理モデルの提案など。2023年、松岡正剛との共著『初めて語られた科学と生命と言語の秘密 』(文春新書)を出版。2024年からISIS co-missionに就任。
イシス編集学校の数学を考える 津田一郎さん【ISIS co-missionハイライト】
2025年3月20日、ISIS co-missionミーティングが開催された。ISIS co-mission(2024年4月設立)はイシス編集学校のアドバイザリーボードであり、メンバーは田中優子学長(法政大学名誉教授、江 […]
ここ1年の様子を見ていると、カウントダウンを松岡さん自身が意識していたのだろう、”その後“に対して次々と手を打ってこられたと思う。私もその手の一つであると感じ、うれしく思ったものだ。 多くの人は理系の人間、 […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。