【田中優子の学長通信】No.06 問→感→応→答→返・その1

2025/06/01(日)08:00
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 イシス編集学校では、「お題」と「回答」つまり「問」と「答」のあいだに、極めて重要なプロセスがあります。それが「問」→「感」→「応」→「答」→「返」というプロセス・メソッドです。

 

 指南中の学衆からある問いが来ました。
 「みなさんの回答を見ていると、とても整理されているように感じるのですが、私の回答は順番がぐちゃぐちゃです。(中略)綺麗にトレースできるように発想を展開するには、どのようなことに意識したらよいのでしょうか。」

 

 私はこれに対し、「問→感→応→答→返」を使って答えました。およそ次のように言いました。「イシス編集学校の稽古は問題と答えでできているのではなく、問→感→応→答→返 というメソッドで展開しています。問と返の間にある感、応、答が大事です。まずお題に対して何を感じても良い。できるだけ多くのことを感じたり思い出したりしてください。次にその思いの渦の中で、どうお題に応じるかを、巡らして下さい」と。

 

 これを松岡正剛校長は「問う。感じる。それに応じて自分が何か動いてしまう。こうしたらいいなという答え。それに誰かが反応を返してくる。それを1人が全部やってしまうのです」と語っています。

 

 また別のところでは、「感とは、五感の感覚や、心理的な感情や、社会性を持った感性など、さまざまある。自分で感じるそれらを刺激として、自分の中で反応が起こっている」と語ったこともあります。

 

 そうすると「振り返り」とは、自分の感じたたくさんの記憶やイメージや感情に「自分の中でどういう反応が起こったか、感情にどう応じたか」を振り返る場所、と言っていいでしょう。「自分でも何故それが思い浮かんだのかが分からない」「突然まったく別のことが浮かんでいる」のは、当たり前のことで、人は日常的にそれを繰り返して生きています。その理由は説明できません。しかし自分の中に去来するそれらに自分自身がどう反応したか、その感の中の何をもってお題に(あるいは教室に、師範代に)応じようとしたかは、振り返ることが可能です。

 

 さらに、応じたことの何かを選んで、「これを答にしよう」と判断した時の頭の中の動きや、その時に「考えたこと」「気づいたこと」を書くこともできます。それは順序よく書く必要も論理的に整理する必要もありません。ただ、「思い浮かんだことを並べる」ところから、次にそれらに向き合って自分がどう応じたか、どう答に結びつけたかの経過を書くことはできます。私は学衆の問いに概略、そんなふうに答えました。

 

 このように答えたことによって、私自身が「現場で」問→感→応→答→返を実感しました。しかし松岡正剛校長の問→感→応→答→返メソッドが秘めていることは、それだけではありませんでした。

 このまま続けるとあまりに長くなりますので、次回は、そのことを書きます。

 

イシス編集学校

学長 田中優子

 

 

田中優子の学長通信

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アイキャッチデザイン:穂積晴明

写真:後藤由加里

  • 田中優子

    イシス編集学校学長
    法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。『江戸の想像力』(ちくま文庫)、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)、松岡正剛との共著『日本問答』『江戸問答』など著書多数。2024年秋『昭和問答』が刊行予定。松岡正剛と35年来の交流があり、自らイシス編集学校の[守][破][離][ISIS花伝所]を修了。 [AIDA]ボードメンバー。2024年からISIS co-missionに就任。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。