この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

黒板に、細く曲線を引いた美しい文字。やがて、窓越しに月明かりを映すセピア色の本の頁が浮かび上がり、どこか懐かしい、松岡校長の声を孕んだかのような語りが胸の奥へと響いてくる。『フラジャイル』に続く、校長の本の宇宙=ビブリオコズムを映像化した「册影帖」第二弾『雑品屋セイゴオ』は、エディストの金宗代副編集長が朗読を担当している。
校長の幼な心の内側をカレイドスコープで覗き込んだような册影帖は、記憶のガジェットをちりばめ、青少年の裏地をはたはたと仄めかせ、手近な馴れ親しんだオブジェが隠し持っている遠い世界への通路を開いてゆく。本を「目と手と脳で触れるオブジェ」へとメタモルフォーゼさせ、新たな別様の可能性を生みだす音と映像と声に、見る者はいつしかあの向こうの気配を感じ、陶然となる。
編集稽古の【守】と【破】には、それぞれの教室や期を超えて集う別院がある。
別院とは、もともと本山に準じて別に設けられた寺院のことを指す。別所とも言い、学問研究や修行のための庵や道場にも、教えを広める化他の場にもなる。千夜千冊では、中世の寺社勢力の近辺に生まれたアジール(無縁所)としても、別所が紹介されている。
イシスのネット上の別院は、[守]のお稽古の一種合成やミメロギアを競う番選ボードレールの賞、あるいは [破]の知文術や物語編集術のアワードであるアリスとテレス賞を発表するハレの舞台となる。さらには一人ひとりへの丁寧な講評の場にもなる。また別の日には、師範によるとっておきのレクチャーを聴く講堂にもなる。毎期、守破のお題を解説する講義は、情報を着替え、持ち替え、しつらいも変幻自在に世界定めをし、擬き、肖る。そのたびに馴染みのお題が隠し持つ別様の可能性が展かれていく。その方法は「册影帖」の見立てや本歌どりにも似て、言葉にならない編集の奥を手繰り寄せ、格別のアナザー・ヴァージョンを表象しつづけている。
画像デザイン:穂積晴明
【参考リンク】
千夜千冊第1793夜 『世界制作の方法』ネルソン・グッドマン
§編集用語辞典
05[別院]
丸洋子
編集的先達:ゲオルク・ジンメル。鳥たちの水浴びの音で目覚める。午後にはお庭で英国紅茶と手焼きのクッキー。その品の良さから、誰もが丸さんの子どもになりたいという憧れの存在。主婦のかたわら、翻訳も手がける。
八田英子律師が亭主となり、隔月に催される「本楼共茶会」(ほんろうともちゃかい)。編集学校の未入門者を同伴して、編集術の面白さを心ゆくまで共に味わうことができるイシスのサロンだ。毎回、律師は『見立て日本』(松岡正剛著、角川 […]
陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを 柩のようなガラスケースが、広々とした明るい室内に点在している。しゃがんで入れ物の中を覗くと、幼い子どもの足形を焼成した、手のひらに載るほどの縄文時代の遺物 […]
公園の池に浮かぶ蓮の蕾の先端が薄紅色に染まり、ふっくらと丸みを帯びている。その姿は咲く日へ向けて、何かを一心に祈っているようにも見える。 先日、大和や河内や近江から集めた蓮の糸で編まれたという曼陀羅を「法然と極楽浄土展」 […]
千夜千冊『グノーシス 異端と近代』(1846夜)には「欠けた世界を、別様に仕立てる方法の謎」という心惹かれる帯がついている。中を開くと、グノーシスを簡潔に言い表す次の一文が現われる。 グノーシスとは「原理的 […]
木漏れ日の揺らめく中を静かに踊る人影がある。虚空へと手を伸ばすその人は、目に見えない何かに促されているようにも見える。踊り終わると、公園のベンチに座る一人の男とふと目が合い、かすかに頷きあう。踊っていた人の姿は、その男に […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。