中世の九相図から無常を読む AIDA Season3 第2講 10shot

2022/12/08(木)08:13
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 藤原新也は「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」と言ったが、その「人間が犬に食われる」という中世の仏教絵画が今回の教材であった。

 11月12日に行われたHyper Editing Platform[AIDA]Season3 第2講では国文学者 田中貴子氏を招き、中世における日本語としるしのアイダ、生と死のアイダを考える1日となった。

 

◆中世とは何か?九相図から読む

 第2講では生まれも育ちも京都である国文学者 田中貴子氏(656夜『聖なる女』)がゲストとして登壇した。たくさんの図像とともに中世の九相図について講義をする。九相図とは死体が朽ちていく経過を9段階に分けて描かれた仏教絵画のこと。目を背けたくなるような九相図に見入る座衆。死と生の間を繋ぐメディアである九相図は無常なるものを説く役割があったという。

 

 田中貴子氏と大澤真幸氏の対談セッションで「中世」についてさらに深めていく。議論は九相図から派生し、キリスト磔刑図からドフトエフスキー、網野善彦から三島由紀夫にまで及ぶ。熱心に耳を傾けながら参加者たちはそれぞれの中世観を育んでいく。

 

◆「月刊あいだ」創刊

 生と死のあいだを繋ぐメディアが九相図であれば、こちらはAIDAという場と座衆のあいだを繋ぐ特製メディア「月刊あいだ」。前回のサマリー、ボードメンバーインタビュー記事、ショートクリップなどがAIDAメディアチームによってメディア化されて座衆のみに毎回配布される。

 

 『知の編集工学』全6章を各回1章ずつ講義する「月刊あいだ」編集長 吉村堅樹。オーラルをリテラルに変換していくのが「月刊あいだ」であるが編集工学講義ではリテラルの情報を読み解きオーラルにリメディエーションしていく。

 

◆中世・近世・近代の死生観

 近世では生死の問題は見せ物的になってしまう。死について日本の歴史の変化があるんじゃないか。近世とも比較し、中世の九相図の講義が衝撃的だったと振り返る田中優子氏。

 

 中世における死は此岸的。死を恐れているのは近代的ではないか。中世と近代の死生観の違いについて切り込みを入れる佐藤優氏。

 

 乱世である中世は中心がない、オーダーがはっきりしない社会である。そうするといろんなものの連想した組み合わせを使うことが多くなってくる。その中世の変容を支えたのが「和化漢文」「偽書」「注釈」である。座長松岡は3つのしるしを置き、わかりづらい中世について見方を示した。

 

 

《座衆後記》

 

間匠 福元邦雄

 最近のメディアでは映さないところを九相図では堂々と描いていて、人が亡くなったらこうなるという無常を美化していない。女性が朽ち果てていく様をじっと見ていた男性が、お墓に入ったところで初めて泣いている姿が不思議で心内語が出てくる感じがしました。また虚構である人の死後の世界を、まさに今生と死の境界線を越えようとしている人の横にかけて見せている点がとても印象に残りました。

 

 

間匠 奥本英宏

 生と死を二項対立的に捉える西洋に対して、九相図は変化をしっかりと見つめて、滅びというものを1つの大事なプロセスとして取り上げる。そこから生を改めて捉えることが日本の見方。無常には諦観的なものが漂いますが滅びを見ることで生の活力を引き出していく、滅んでいくものに対する何かの生き様や生命力をそこから受け取っていくようなプロセスだと感じました。

 

[AIDA]Season3「日本語としるしのAIDA」10shot

 第1講 日本語としるしの秘密は源氏物語にある

 第2講 中世の九相図から無常を読む

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。