六十四編集技法 【46測度(metric)】数字は全てを語れない

2019/12/17(火)20:02
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 イシス編集学校には「六十四編集技法」という一覧がある。ここには認識や思考、記憶や表現のしかたなど、私たちが毎日アタマの中で行っている編集方法が網羅されている。それを一つずつ取り上げて、日々の暮らしに落とし込んで紹介したい。

 

 

 「何も困っていることはないよ」。山の上の一軒家でおばあさんは答えた。


 6年ほど前、大学院の同期4人で買い物弱者の調査に出掛けた。高知と徳島、香川を結ぶ国道から、一台やっと通れる程度のつづら折りの道を車で20分ほど上がる。間伐が行き届かない杉林は荒廃し、空を遮る。隣家は視界に入らない。
そこから先に人は住んでいない。

 

 こんな場所に一人なのに困っていない?!自分たちとおばあさんは何が違うのか。ある時、64技法の【46測度(metric):測度をつくる、測定基準をつくる、判定化】に思い至り、合点がいった。


 自分たち4人は無自覚に自己中心的な測定基準を作っていたのだと気づかされた。町の中心地から遠く、店もなく、人よりイノシシやサル、シカが多い場所で、高齢者の一人暮らし。不自由や不便も多いに違いない。勝手に作った基準を乱暴におばあさんに当てはめたのだ。


 「測度」という言葉から一般的にイメージするのは数値だろう。例えば、おばあさんの住む町は総面積315.06平方キロメートル(東京ドームの約6,700倍)で、9割弱を森林が占める。そこに3,570人が暮らしており、平均年齢は63.1歳。数値からは典型的な過疎の町の姿が見える。


 一方、編集学校では、数字に置き換えられないメトリックも大切にしている。カウントできない意味や価値こそ丁寧に掬い取り基準をつくろうとする。測度は数値化できないものをも測るモノサシなのだ。

 

 土地に根付いた暮らしのありようを尊重したメトリックがあってもよい。その場所に暮らす人々の想いや感覚を測定基準にしたってよい。この方法なら、過疎や高齢化、人口減少で語られる問題を異なる切り口で捉え直すことも出来るはずだ。
 
 おばあさんの測度で世の中を見ると、どのように映るのだろう。

 

 住み慣れた我が家があり、先祖から受け継いだ土地がある。必要なものは、必要な時に必要な分だけ作るか育てればよい。昔なじみの友もいる。

 

 「これ以上、何が足りんがぞね」。そんな声が聞こえてきそうだ。

 

(design 穂積晴明)

  • しみずみなこ

    編集的先達:宮尾登美子。さわやかな土佐っぽ、男前なロマンチストの花伝師範。ピラティスでインナーマッスルを鍛えたり、一昼夜歩き続ける大会で40キロを踏破したりする身体派でもある。感門司会もつとめた。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。