読みを深める2つの「読」(輪読座「柳田國男を読む」)

2021/09/26(日)19:30
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輪読座は、日本の古典や哲学をテーマにした読書講座である。2013年のスタート以来、『古事記』『日本書紀』『万葉集』のような古典から、西田幾太郎、折口信夫、井筒俊彦などの著作を、各テーマにつき半年(月1回/全6回)をかけて輪読してきた。

 

「柳田國男を読む」と題した今期は、全31巻の『定本柳田國男集』から『菅江真澄』『山民の生活』『標準語と方言』『巫女考』『山東民譚集』をはじめとする著作を扱ってきた。「読衆」と呼ばれる参加者は、輪読した著作について、一枚の紙へのアウトプットが求められる(提出は任意)。

 

このように、読衆は単なるインプットだけでなく見方づけ加えたアウトプットが求められるわけだが、その際の手がかりとなるのが座をナビゲーションする輪読師バジラ高橋による「図象」である。「図象(ずしょう)」とは、高橋が構成した”概念曼荼羅”というべきシェーマ群で、前提となる基礎情報や時代背景を高橋の見方で編集したものである。著作の輪読に先立ち、1時間ほどをかけて図象の解説を高橋自らが行う。

 

松岡正剛校長も『記憶術と書物』の千夜千冊(1314夜)の中で「ぼくは読書においては、今後はおそらく『共読』こそが重要な作業になると、先だっての『多読術』(ちくまプリマー新書)にも強調しておいた」と記しているように、読衆は高橋や他の読衆との「輪読」と「共読」という、2つの「読」をつうじて相互に学びを深めていく。

 

こうした2つの「読」からうまれた読衆のアウトプットを紹介する。

 

 

こちらは「口承文芸への拡張」と題した第4輪を図解した阿曽祐子読衆の図象。

 

柳田は、災害や一揆ような有事ばかりが文字にされていないことに疑問を抱き、ポール・セビヨらの民俗学者のモデルに、民間伝承の採集・保存・比較・整理の方法を見出していく

 

「最初は政治や経済側から入っていって柳田が農村や方言、口承文芸などに反転していくようなアプローチを描きたかった」という阿曽読衆は、「都市と農村」「標準語と方言」「記録と口承文芸」などを比較しつつ國民俗学を創始した柳田の足取りをトレースしつつ、柳田の重視したポイントを「立ち位置」「共通のメトリック」「名づけへのこだわり」と三位一体で見方づけをした。

 

 

 

上図は、松井路代読衆による第五輪についての図象である。

 

この回でバジラは、輪読に先立ち「近代神道の系譜」と「日本近代女性史」を緻密に図象し、明治以降の神道のクロニクルと、近代女性が社会へ及ぼした影響を明らかにした。

 

松井読衆の図象にはいつも「問い」が満ちている。

「柳田の思想における『家制度』とは何か? 家制度=人を抑圧する暗い印象があったが、柳田が記録した賃金によらない大家・名子の保護・賦役関係などは、日本の本来として振り返ってみる必要がある」「衣食住のうち、衣だけは個別で食住は共同であったという大家族制度も気になる」「玉依姫や女性に関するシソーラス若い嫁が死ぬという昔話に何が隠されているのか」など。

こうした問いによって新しい「見方づけ」がうまれ、そこから図象を構成していった。

 

***

 

10月からの輪読座のテーマは「道元」である。松岡校長が千夜千冊エディション『本から本へ』第1章の冒頭に選んだ、あの道元(988夜)である。

 

「1200年、曹洞宗の開祖である道元は京都で貴族の子としてうまれた。鎌倉との戦争で焼け野原になった生まれ故郷を後にし北宋へ向かったが、文化の絶頂にあった北宋の崩壊を目の当たりにする。その様をみて、日本の立て直しを図った。コロナパンデミックで世界的が混迷の最中にある今こそ、道元の方法を学ぶべきである。」(バジラ高橋)

 

講座詳細は近日中に公開予定。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。