イシスのアイドル?─ワークショップエディターとは

2023/11/11(土)20:20
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ワークショップエディターの、ワークショップエディターによる、ワークショップエディターのための集いが開催された。この日、編集工学研究所入口の井寸房ではなにやら大仰なセットが組まれていた。ここで何が行われていたのか。答えは記事の文末で。

 

■イシスのアイドル?

 

「ワークショップエディターってなんですか?」

 

この問いをうけて言葉に詰まった。いや、頭のなかに答えが浮かんではいたのだ。

 

「イシスのアイドルですよ」と。

 

いったいなぜこんな返答をしたくなったのか。この場を借りて、わたしなりに考えてみたいと思う。

 


■ワークショップはライブだ

 

ワークショップエディターとは、ひらたく答えるなら「未入門者向けに開催するエディットツアーや学校説明会のナビゲーターです」「それぞれのユニークネスを活かして、編集の魅力を編集的に伝えます」といったところだろうか。

 

編集についてのインストラクションはもちろんだが、参加者の編集力を引き出すようナビゲートしたり、場に応じて編集の奥をチラ見せするなど、参加者と編集を関係づける工夫が求められる。

 

ワークショップはライブなので、当然、アクシデントも起こる。スライドの投影に手こずったり、用意していた映像から音がでなかったり。そんなときはアドリブで場をつなぐ。もちろん編集的に。

 

あるいは、交通機関の乱れにより到着が遅れてリハができなかったり、実はすごぶる体調が悪かったりもする。たとえ息切れしていても自分に「想定内」と言い聞かせ、参加者に楽しんでもらうためにステージに立つ。

 

心地よい距離感と速度で信頼関係を結ぶ新井和奈ナビゲーターのふるまいは、ファンをもてなすアイドルそのものだ。


ひとことで言えば臨機応変なふるまいとおもてなしが求められるのだが、実はそれだけではない。ナビゲーターのパフォーマンスには7つの段階がある。

<ナビゲーター七段階>
第一段階:インストラクションができる。
第二段階:参加者と、よき関係をつくる。
第三段階:ユニークネスを活かした語り、かつシームレスな流れ。
第四段階:臨機応変な即興指南ができる。アクシデントを活かす。
第五段階:与件に応じたワークが設計できる(企業向け研修など)。
第六段階:編集の新しい可能性や価値を見出し伝えることができる。
第七段階:その人の話を聞きたくなるような編集的存在。松岡校長状態。

 

 

ナビゲーター七段階について説明する吉村林頭

 

ナビゲーターは編集を体現するメディアであり、ワークショップエディターはイシス編集学校のインフラの一部だといえる。

 

吉村林頭はこう話す。

 

「たとえば昭和歌謡を編集の型で語れる?あらゆるものを編集の型と照合できる?そんな人がいたら誰もが話を聞きたいと思うはず」

 

わたしは中森明菜好きだが、明菜を編集的に語ったことがない、ということを猛省した。

 


■アイドルとファンの逢瀬のように

 

ワークショップエディターが目指す道のりは長い。いっぽうで艱難辛苦ばかりかというと、そんなことはない。高本沙耶ナビゲーターは、エディットツアーでの体験をこう振り返った。

 

編集に出会ったばかりの参加者の方々の、新鮮な表情とアウトプットにときめいた。


編集に出会った参加者が、新しい見方や考え方を手に入れる瞬間に立ち会える。その様子は、新しい言葉をおぼえた子供が、その言葉の感触を確かめたくて何度もくりかえしつぶやいてしまうような、初々しい感覚を思い出させる。

 

ワークショップエディターは、編集的エネルギーを人々にふるまいながら、編集との出会いによって生まれる新鮮なエネルギーを享受できるロールでもあるわけだ。

 

アイドルが自身の持つ世界観へファンを引き入れるように、ワークショップエディターは編集的世界の入り口に立って参加者を招き入れる。演出家や作家の想いを引き取って、未来の編集ファンの発掘のためにエディットツアーというステージを切り盛りする。

 

やはり、ワークショップエディターはイシスのアイドルなのである。

 

そういうわたしもワークショップエディターの端くれであり、この記事を書いてしまって、実は肝を冷やしていることを白状しておく。

 

 

【冒頭のクイズの答え】倶楽部撮家の後藤由加里によるワークショップエディターの撮影が行われた。アー写を撮る高本ナビゲーター。ワークショップエディターとしてのときめきが映りこんでいるはずだ。

  • 阿部幸織

    編集的先達:細馬宏通。会社ではちゃんとしすぎと評される労働組合のリーダー。ネットワークを活かし組織のためのエディットツアー も師範として初開催。一方、小学校のころから漫画執筆に没頭し、今でもコマのカケアミを眺めたり、感門のメッセージでは鈴を鳴らしてみたり、不思議な一面もある。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。