この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

輪読座は毎月最終日曜日13:00にスタートするマンスリーの講座である。酷暑続く2024年7月最後の日曜日は輪読座「『太平記』を読む」の第4輪。日本時間では前日がパリオリンピックの開幕日であった。
開始まであと10分となる12時50分。本楼内でできる準備を終わらせたスタッフ陣は見た目ゆったりしながらも、心の内のそわそわが隠せない。時折ソファから立ち上がって躙り口をうろうろしてみては裏口扉を開けて様子を見てみたりする。12時50分を過ぎても輪読座のナビゲーターである輪読師バジラ高橋が本楼に姿をあらわしてはいなかったのだ。既に本楼に参集している輪読座衆も異変を感じ始めている。業を煮やすかのように林頭がスマホを手に取った。
バジラと連絡がとれた林頭が「バジラさん、あと5分で着くって」と言った時、時計が示したのは“12時58分”という情報だった。輪読座は今期より本楼とZOOMのハイブリッド開催で運営している。本楼の座衆はバジラ高橋が不在であることにもちろん気付いているが、ZOOM参加で既にログインしている座衆は知る由もない。13時になるとバジラ高橋は不在のままにZOOMの音声は配信され、林頭がマイクを持ちオープニングトークを始める。通常はオープニングトークは実施していないから、完全にアドリブである。9月に実施する感門之盟の告知を始めるや否や、本楼裏手の扉がギィとひらく。バジラ登場である。胸を撫でおろすスタッフ陣。林頭からバジラ高橋に主体が動く。そもそもエディスト隊で参加していたはずなのにいつの間にか輪読座のメインスタッフと化し、今では進行もこなす福井千裕が輪読師とコミュニケーションをとりながら場を仕立てていく。
いつもよりも少し声の出づらそうな輪読師だが、座衆の宿題共有への解説には言葉に力がこもった。
争乱が起こる場合は、党首同士の問題だと思いすぎている。常に都合の悪いものを排斥しようとするが、そうすると収集がつかなくなるので、対立点をより高度なシステムへ移す仕組みが必要なのだという。いま我々が支配されている世界像は明治維新によって成り立っている。この問題点をみなおす必要さえ出てきている。第二次世界大戦というものも全体、あるいはその部分かもしれないが、日本が大東亜戦争と呼んでいるものはいったい何なのかを考えなければいけない。その争乱はなぜそうなったのか。こういうことをもう一回見つめ直す必要がある。
バジラ高橋は、『太平記』から学べることはニューメディアの出現をどう活用していくかでもあると語る。例えばだ。天台比叡山からは元々金融システムと情報システムが生まれていた。金融システムは「座システム」でもあり、情報システムは他者を想定しながら伝える「手紙」というニューメディアでもあった。このニューメディアの配送ネットワーク上に『太平記』は成立した。ただ、「手紙」は誰でもつくれ、復元することができてしまう。フェイクやなりすましが横行する。『太平記』の記述も他の文献と比較すると、当時のフェイクニュースがそのまま記されたと思えるものもあるという。そうすると人々はこのネットワーク上で手紙の機能を担保しながらも手紙に変わる方法を考える。そして秩序形成システムに付与されると新たな天台システムが再構築される。このような全体構造のプロセスに後醍醐天皇は気が付いたのだという。
21世紀の今、映像でも音声でも情報はあたりまえのように復元的に作り出せてしまう。『太平記』の時代に「手紙」の復元が発生していたこととの重なりを感じる。そういった情報を包括しながらも上位概念の仕組みに再構築していかねばならない。私達は知らない間に、いったいどういうシステムや仕組みに生かされているんだろうか。後醍醐天皇のように、とはいかずとも、まずは既存のシステムや仕組みを認識することが再編集のベースとなりそうだ。
輪読座は毎月最終日曜日、座衆による宿題の共有、輪読師バジラ高橋による図象解説、テキストの輪読という3部構成で運営している。第四輪の輪読では、新田義貞が西国侵攻、楠木正成兄弟の自害、後醍醐帝吉野へ逃亡、といったストーリーを読み進めた。『太平記』は9月までの輪読なので残り少なく思えるが、アーカイブ映像もあるのでいつでもスタートラインにたつことができる。
宮原由紀
編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。