松岡正剛が語る「多読」の極意──多読ジム第二回工冊會

2020/03/24(火)09:14 img
img JUSTedit

 ふつう「本を読む」というと、書かれた内容を理解することだと思うだろう。だが、松岡正剛の読相術はちがう。

「自分がその本を、どの相として動くように見たのかが大事。その極意を授けたい」

 どんな極意なのか。2020年3月21日、ハイブリッド感門から一週間後の豪徳寺本楼で開かれた<多読ジム>第二回工冊會(こうさつえ)で、冊師と指導陣に向けて、松岡が自著『多読術』のタイトルにも冠した「多読」の真意を語った。

 1月の<多読ジム>開講から3ヶ月。第一期となったseason01も、一週間後にはクロージングだ。前例のないロールにもかかわらず、いきいきと華麗なふるまいで魅せるseason01の冊師たち。season02は、さらに陣容を深めて、全11スタジオに拡張する。
 次期開講を前に、初めて尽くしの3ヶ月を振り返る一日。冒頭から松岡も座に混ざり、次々とディレクションがとぶ。交わし合いが進むほどにディスカッションが白熱加速していくさまは、まるで企画会議かプロジェクトミーティングさながらだ。

 「これまで本を読んでこなかったコンプレックスがやはりあって」。冊師から上がった細い声を、松岡は流さなかった。

「ふだん、気にはなっているけれど“さておいて”いるものがありますね。本当はそこに向かいたいのに曖昧になっているもの、引き返してしまっているもの、自分で“いたってないな”と思うところ。その自分が取りのけておいたものを使えば、絶対うまくいきます」

 ギリシア語にもラテン語にも「読む」という動詞はないという。そのかわりに、ギリシア語では「再び知る」「想起する」、ラテン語では「まとめる」「あつめる」を意味する語を使う。本を読むことは想起だったのだ。そして、中世を代表する文人の一人、アルベルトゥス・マグナスは、取りのけておかれたものを、記憶を通して「記憶によって見つけだすこと」だと言った。
 記憶と想起、場所と表象、鎖と印章。メアリー・カラザース『記憶術と書物』を取り上げた千夜千冊1314夜には「読み書き」ならぬ「書き読み」の骨法が惜しげなくあらわされていた。

 千夜千冊エディション『本から本へ』の高速読解を通して語られる松岡の読相術は、「読書」のイメージを新たな地平につれていく。

 松岡自身、意味の原票の単位をつくって頭に入れてから本を読めるようになったという「白状」もあった。要はどのように頭の中に目印を打てばよいか、アルス・ノタタリア(アート・オブ・ノーテーション)の方法を知ることだ。自分の読書認知単位、知覚のチャンクを点検してみるといい。スキップリーディングの自分の単位を覚えること。具体的な方法の示唆は、本の中身に没入する読み方ではなく、本の群れから相を立ち上げていく「多読」に向かっている。「多」なのは冊数ではないのだ。
 トマス・アクイナスがカテーナ(鎖)と呼んだ「つながり」。それがわかれば本は読める。「そういう基本的なことが本にもあるんだと確信してほしい」。

 とはいえ、そこは松岡正剛。「読書時間が取れない」というお悩みに対するこたえはこちらだ。

「毎日90分、必ず読書の時間を取ってください。日々、読書にそれだけの時間を割かない限り、決っしていい男、いい女にはなれません。90分、どうやったら本に集中して楽しめるかを工夫してみてください」

 読書筋は一朝一夕にならず。<多読ジム>が「ジム」たるゆえんである。松岡の極意を預かった冊師11人が待つ<多読ジム>season02は、2020年4月13日(月)スタート。残席はわずかだ。


 仮予約申込はこちらから。

 

  • 福田容子

    編集的先達:森村泰昌。速度、質、量の三拍子が揃うのみならず、コンテンツへの方法的評価、厄介ごと引き受ける器量、お題をつくり場を動かす相互編集力をあわせもつ。編集学校に現れたラディカルなISIS的才能。松岡校長は「あと7人の福田容子が欲しい」と語る。

  • 松岡正剛

    【追悼】松岡正剛 心は一秒たりとも寝ていない

    書籍『インタースコア』の入稿間際、松岡校長は巻頭書き下ろしの冒頭二段落を書き足した。ほぼ最終稿だった。そろそろ校了か、と思ってファイルを開いて目を疑った。読み始めて、文字通り震えた。このタイミングで、ここにこれを足すのか […]

  • 龍がクジラになる国◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:福田容子

    ▼辰年と聞くと義兄の顔が浮かぶ。辰すなわち龍は十二支唯一の空想動物なわけだが、これがウズベキスタンでは鯨になるのだと、そのウズベク人の義兄から聞いて驚いたことがあるためだ。前の辰年より少し前のことだったと思う。なぜそんな […]

  • 京都は神社が少なく教会が多い?◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:福田容子

    ▼京都はぞんがい教会が多い。人口10万人あたりの教会数は、全国47都道府県中じつに5位。寺院が意外にも13位どまり、神社に至ってはまさかの32位(つまり下から16位)だから、相対的に見て全国平均より神社が少なく、教会は多 […]

  • 48[破]開講まで2週間、伝習座白熱中

    48[破]が始まった。  2022年4月2日(土)第一回伝習座。今期[破]で新たに師範として登板する戸田由香が、48[破]師範代陣に向けて、文体編集術の骨法をレクチャーした。    戸田といえば、エディストの […]

  • 律師砲にご用心【78感門】

    律師、八田英子の不意打ちには要注意だ。    半年ぶりにISISロールに復帰し、48[破]で初番匠に挑もうという2022年春。水ぬるむ3月にそのメッセージはやってきた。 「ふくよさん、お帰りなさーい」  八田 […]

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。