多読ジムOPEN 「読衆」第一号は誰?

2020/01/13(月)14:36
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 本は歴史であって盗賊だ。
 本は友人で、宿敵で、恋人である。
 本は逆上にも共感にも、羨望にも失望にもなる。
  ――『連塾 ブックパーティ スパイラル「本の風」巻1』

 

 本日午前10時、「読相セイゴオ語録365」の着信とともに、<多読ジム>「season 01 冬」がスタートした。受講期間は2020年1月13日~3月29日の11週間。開発リーダーの木村久美子学匠の「104人で晴れやかにスタート」と題した開講の挨拶に続いて、「スタジオ」を切り盛りする9人の冊師がメッセージを寄せた。

 

 ジムに最初に登場した、記念すべき読衆第一号は「スタジオふきよせ」の原田淳子さん。「お菓子の吹き寄せが好き。読書のお供のおやつはキマリです」という声に担当冊師の松尾亘がすぐさま応じた。

 

 あらためて講座の仕組みを簡単に説明すると、カリキュラムは、「読相術トレーニング<1>ブッククエスト・<2>エディション読み・<3>三冊筋プレス」の3つのプログラムで構成されている。ラウンジは読衆が読相術トレーニングをおこなう「スタジオ」、冊匠(大音美弥子)と代将(金宗代)が中心となって運営される「書院」、目次読書法やマーキング読書法など読書の準備体操を提供する「コンディショニングルーム」に分かれている。

 

 ひとつのスタジオは、一人の「冊師」と10人前後の「読衆」で編成され、各スタジオでは、担当冊師(あるいは他スタジオの冊師)、および多読ボードのメンバーも共に読衆としてトレーニングに参加する。基本は自主トレで、担当冊師はナビはするが、指南はしない。

 

 書院からは、本や読書に関する松岡正剛校長の選りすぐりの語録集「読相セイゴオ語録365」が365日、毎日届く。また、メディエーションが力試しできる「遊刊エディスト」との連携企画も展開される。エディットカフェとは別にクラウド型データベースAirtableを使った読書スコアリングツール「本譜(ブックスコア)」もある。どこまで使うかは自分次第。スポーツジムのフィットネスマシンのように、自分の力に合わせてレベル設定できるのが多読ジムの大きな特徴だ。

 

 さて、最後にあらためて、今シーズンのスタジオとエディターシップ溢れる担当冊師たちを一挙紹介したい。スタジオ名は各冊師がそれぞれの数奇を持ち寄り、そのうちいくつかに校長が赤ペンを入れた。

 

  スタジオ*ローグ 冊師●おおくぼ かよ

  スタジオ伴窓   冊師●加藤めぐみ

  スタジオこんれん 冊師●増岡麻子

  スタジオふきよせ 冊師●松尾亘

  スタジオ栞    冊師●丸洋子

  スタジオAZ   冊師●宮川大輔

  スタジオ ポテチ  冊師●宮野悦夫

  スタジオはねぺん 冊師●山田小萩

  スタジオ印    冊師●吉野陽子

 

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。