この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「文明の発生は、キリスト教的・一元的ではなく、多元的な相互編集によって起こったのではないか」。
2020年12月27日の輪読座「白川静を読む」第三輪は、バジラ高橋の「見方の問いなおし」から始まった。前回の時間軸で組み立てた図像から一転し、地図を多用した空間軸の図像を用いつつ、黄河文明の形成と「興」の発生を講義した。
黄河・遼河・長江文明の発生においては、羌(キョウ)族・濊貊(ワイハク)族・苗(ミャオ)族という、言語族も異なる民族の分布に注目する。すでに長江中流では世界初の水田耕作が始まり、裴李崗文化では亀卜やピクトグラムが既に発生していた。
紀元前3500年ごろには柳田國男も『海上の道』で言及する「子安貝」の流通ネットワークが発生する。ネットワークができれば価値の統一がおこり、産物が商品化される。そうしてネットワークの拠点が生まれ「都市」が誕生した。バジラはこうした流通の網の目を辿りつつ「文化は想像以上に混ざっており、むしろ混じり合った場所でこそ文化は発展するのでは」と見る。これも一つの見方の問いなおしだろう。
そうして都市ネットワークの一つから帝を戴く士族社会制の「殷」が発生し、甲骨文字が作られ、続いて身分制・封建制の「周」へと続いていた。そのプロセスで音楽によって天下を教化する「礼楽」が登場し、周代の商容がこれを整えた。人間が自然現象との調和を図る礼楽は、殷時代の神による神裁政治から周時代に人間による政治へ移行するための編集行為であった。
孔子は礼楽の構成要素の一つである詩編を編纂し『詩経』を著したとされる。「これまで『詩経』は儒教における五経の一つとして位置づけられることが多いが、周の民族学的解釈として、儒教にとどまらない世界像が入っているのではないか」というのがバジラの見立てだ。
第三輪の締め括りに『詩の発想と表現』を輪読する。『詩経』の六義の一つでありながら、その本質がなお明らかにされていない「興」を中心に、白川の見方の問いなおしに迫った。
年内の本楼イベントはこれが最後。来年1月31日の第四輪では「国家神話と宇宙神話」と題し、周建国神話や楚辞天文篇の宇宙生成神話の輪読を予定している。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。