この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

バジラ高橋の輪読座「白川静を読む」の第二輪がスタートした。
第一輪では、白川静と先行する甲骨・金文文字研究のクロニクルを重ねつつ、『万葉集』『詩経』といった東洋古代の世界観に惹かれた白川静が、先行研究の先達を尊敬しつつ批判し、新たな編集へ向かっていったかに迫った。
第二輪では漢字の興りに立ち返る。殷の時代、宮城谷昌光が『沈黙の王』でもとりあげた子昭(のちの武丁)が、自分のなかに渦巻いている概念や神話を現実の人間にうつしかえようと考え、初めて漢字を生み出した。殷墟遺跡から発掘された亀の甲羅や牛鹿の骨には刻まれた甲骨文字が見られる。
「甲骨文字は政治見解の広報メディアでもあった」とバジラはいう。
当時行われていた甲骨卜占は、王が実行した政策を卜占を通して正当化させ、神と交信する王の神聖性を示すものであり、政府表明を伝える「仕掛け」だった。これは無文字時代には成し得ず、いわば漢字が殷の神権政治というシステムを生み出したともいえるだろう。神々を漢字によってシステム化したのだ。殷は甲骨文字の漢字システムによって新たな概念を次々に生み出し、情報共有や意味の分化を可能にしたが、あまりに自分勝手に利益を追求したことで崩壊を迎えた。
第二輪では、殷の後の周の形成と展開をおさえ、羅振玉や王国維、董作賓、覚沫若ら甲骨四堂と日本東洋学の形成を概観しつつ、再び白川の『三部の字書について』『卜辞の本質』『殷の時代』『中国古代の共同体』などを輪読した後に、座集は図象化に向かう。
第三輪は12月27日(日)13:00〜。ISIS編集学校の年内最後の講義となる。これからの受講も受付中(申込はこちら)。すでに終了した講座の図象資料や当日の映像も後追いで視聴できる。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。