【オツ千vol.2】ロココライフにキュビスムスタイル

2021/07/28(水)09:20 img
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ロココからキュビスムへ

「おっかけ!千夜千冊ファンクラブ」。ちぢめて「オツ千」。千夜坊主こと林頭の吉村と千冊小僧ことデザイナーの穂積、「松岡正剛の千夜千冊」ファンを自認する二人が、千夜のおっかけよろしく脱線、雑談、混乱の伴走するショート・ラジオ。千夜千冊がアップされるたびに「おっかけ更新」いたします。第二回は『ロココからキュビスムへ』です。

 

 視聴はこちらから:https://anchor.fm/0krbq3v63dg/episodes/00021777-e151o2k

 

 第二回は予告通りのグノーシスではなく、なんとアートへの大転換です。18世紀から20世紀前半の美術をめぐりながら、「スタイル」とは何かを考える一夜。「スタイル」というのは、アーティスト自身は表現をする前からこのスタイルでいこうと思っているのではなく、後付けで括って名付けられていくものです。
 表現者は、これまでの歴史を下敷きに、社会生活や科学技術、当代の思想や理論にアフォードされながら、新しい世界の見方として定着されていった。それが新たな「スタイル」を生んでいったわけです。アートの枠を超えて、自らの「スタイル」、社会の「スタイル」についても考えさせられる一夜です。

 「オツ千」をさらに楽しむにはまず千夜を読み、考えをちょっとめぐらし、何かの合間に気軽に聞く。これが一番。肩の力を抜いてお楽しみくださいませ。


当該千夜千冊
 1777夜 ワイリー・サイファー『ロココからキュビスムへ』

  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。