【田中優子の編集宣言】必要なのは編集力 自由への方法を獲得せよ

2023/01/15(日)23:38
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 今期、メモリアルな第50期を迎えた守の特別講義を担うのは、法政大学前総長で江戸文化研究者の田中優子氏だ。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターとしての顔も持つ。長く教育業界に身を置き、縦横無尽に現代社会に注意のカーソルを向けてきた田中氏は、イシス編集学校で、守破離の学衆として編集稽古にも取り組んできた。今、イシスでの学びをどう捉えているのだろうか。

 

 「この社会は編集を終えようとしている。
  だから僕はそれにあらがいたい」

 

 講義の冒頭、田中氏は改めてイシス編集学校校長・松岡正剛の言葉を持ち出し、「”あらがう”、”ためらわない”ということがとても大切」ときっぱり言い切った。学校教育は、学びを編集と捉えられなかったという。学ぶべき正解が既にあり、そこに至るように鍛えていくこととした。このように硬直的なのは、教育の場だけではない。社会全体に及んでいる。そのような中、私たちはどうあるべきか。「社会が失っているものを個々人の側が持たないといけない。そうでないと新しい能力が生まれていかない」と明快だ。

 

 「イシス編集学校こそ、社会にあらがうための教育を実現している」

 

 編集稽古は、知識、すなわち、正解を詰め込む教育をするわけではない。田中氏から見ると、イシスが目指しているのは「自らの言葉(思想形成)をできるだけ豊かに創造する能力の獲得」。経済成長、会社の利益、営業成績と社会が求める正解にばかり追い求めるうちに、置き去りにされていくのが「自己」の形成である。「何を選ぶか?」「何を大切にしたいか?」と自らに問うていく過程で、確立していくのが「自己」であるからだ。かつて教わる側にあった師範代が、きめ細かく学衆個々人に向きあい、彼らが脳を徹底的に使いきるまで寄り添い尽くすイシスメソッド。こうして「必死な時間」を重ね、たくさんの言葉と見方を得ていくことは、置き去りにされた「自己」を取り戻し、他者に設定されたルル三条からの自由を獲得していくことなのだ。ここイシスには、自由への方法がある。

 

 江戸時代に地を移すと、身分と職業の結びつきが厳しく、個々人は思うように生きることが難しかった。人々は、常に「どうすれば自由でいられるか」を考え、実行する視座を持っていたという。そのひとつの方法が、名前を変えて幾つかの「場」に身を置くこと。連句俳諧では、相互に影響を受けあうことを重視し、必ず複数人が集まって創作をした。さらに、座で起きたことは、必ず記録され、「集」として残された。他の座が、その「集」から学び、新たな場づくりに活かしていく。「場」と「集」が必ず一体だったことにより、編集が連鎖していった。編集稽古という現場を持つイシスにも同じことができるはずと田中氏が期待を寄せる。「場」を「集」として編みなおすことで、社会に編集の連鎖を起爆できるのではないか。江戸の編集とイシスの稽古を重ねる田中氏の語りにいっそう力が入る。講義の後半では、守破離の稽古体験をもとに、イシスの指導陣に新しいお題をも提示した。

 

 高い集中力で取り組む「必死の時間」こそ、人の能力を高める。「学びの深化」はその時々の一回ごとの稽古を通してしか訪れない。このことを理解し、変化の「契機」を掴むため、集中して取り組んでほしい。イシスには、他のどこにもない場が用意されている。先達の田中氏からのエールを受け、誰しもが「今こそ」と即座にそれぞれの場へと出遊していった。

 

田中優子氏の数々の著作と関連図書。
最上段には、松岡校長との対談共著『日本問答』『江戸問答』。

 

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  • 阿曽祐子

    編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。