この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

こういう作品は何度でも見たくなる。この物語を生きる人たちといつまでも茶の間で笑い続けたくなる。
2024年11月初旬、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで、井上ひさしの戯曲『太鼓たたいて笛ふいて』を観劇した。演出は栗山民也、出演者は、大竹しのぶ、高田聖子、近藤公園、土屋佑壱、天野はな、福井晶一、そしてピアノ演奏は朴勝哲だ。『放浪記』で人気を博した作家・林芙美子の後半生を描いた評伝劇を楽しくも悲しいピアノと歌、台詞のミックスで描いている。
実はこの劇を私は1週間で2回観た。初回で十分に満足度が上がっていたので、2回目にこれ以上があるものかと少し不安もあったが、予想はあっさりと裏切られた。2回目の方が役者の言葉ひとつひとつが粒立って聞こえてくるし、歌のメロディは鼻歌したくなる。舞台で起きるいちいちのことに心ゆさぶられた。観客の笑いや涙に感染し、大竹しのぶの声とゆらぎ、近藤公園の怒涛の岩手弁に飲み込まれる感覚もよかったが、やはり井上ひさしが書いたこの「メタな物語」「キャラクターの突出」「巧みな言葉遊び」に中毒性があるのだ。いつまでも何度でも見ていたい。
この舞台は一人の作家の生き様を中心に描いた「物語」だが、奥から見えてくるのは、昭和の負であり権力者たちが作った世界の「物語」である。その負の物語は、10月に刊行された松岡正剛と田中優子の対談本『昭和問答』の中で語られている事にも重なる。一部抜粋すると、戦争から降りられなかった日本について松岡は、「井上ひさしはその矛盾を笑いにまぶして芝居にしていった」と記している。矛盾に蓋をする世に対して「書く」ことで抗った芙美子の人生に、井上の人生も重なって見えたからこそ胸を打たれた。
ISIS co-missionの井上麻矢さん(劇団こまつ座代表)から編集学校に届いた言葉を紹介したい。
「太鼓たたいて笛ふいて」…は物語を紡いだ林芙美子の物語、時代や国の物語、一人ひとりの愛すべき人々の物語と三重構造の物語にまつわる物語です。
この物語が令和の今にもつながる物語であること、「書く」ことに命をかけた人の物語であることも加えておきたい。
公演は年末まで場を移しながら続く、ぜひ2度は足を運んでみて欲しい。
【公演情報】
https://www.komatsuza.co.jp/program/#more470
11/1(金)- 11/30(土)東京都 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
12/4(水)- 12/8(日)大阪府 新歌舞伎座
12/14(土)- 12/15(日)福岡県 キャナルシティ劇場
12/21(土)- 12/22(日)愛知県 ウインクあいち(愛知県産業労働センター)
12/25(水)山形県 やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)
林朝恵
編集的先達:ウディ・アレン。「あいだ」と「らしさ」の相互編集の達人、くすぐりポイントを見つけるとニヤリと笑う。NYへ映画留学後、千人の外国人講師の人事に。花伝所の花目付、倶楽部撮家で撮影・編集とマルチロールで進行中。
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写真仲間求む!編集術でカメラと戯れる【倶楽部撮家】が多読アレゴリアにやってきた
「写真×編集」する倶楽部 写真に特化したクラブがついに多読アレゴリアでオープンします。クラブ名は「倶楽部撮家」。名付け親は松岡正剛校長です。 編集を人生する。撮影を人生する。カメラさえあればどなたでも参加可能です。プ […]
本楼にある黒いソファを移動して、その脇に求龍堂の『千夜千冊』と角川の『千夜千冊エディション』を並べて松岡さんを迎えた。2度目の肺癌で入院する直前の2021年4月初旬、急遽、オンランイベント「千夜千冊の秘密」で語り切れなか […]
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【花伝所プレゼンツ・エディットツアー】8/31(土)師範代の編集術でコミュニケーションがかわる
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。