番期同門祭に九州の「本島」が浮上する  「九天玄氣組の三十三冊屋」【84感門】

2024/09/06(金)12:00
img JUSTedit

七月下旬、九天玄氣組組長の中野由紀昌から「九州を三十三冊で表出せよ!」というお題が組員たちに出された。第84回感門之盟「25周年 番期同門祭」では、ISISを多様にリプリゼントするコーナーが会場各所に設置される。九州支所である九天玄氣組(以下九天)もブースを出すこととなった。組長の出題は、その企画の下拵えのためだった。

 

さあ、そこからが編集のスタートだ。準備期間は二カ月を切っている。ラウンジでは昼夜を問わずメールが飛び交い、オンラインでの練磨が続く。途中、校長の訃報が伝えられ、みなが呆然となった。だが、校長がこの番期同門祭をどれほど心待ちにしていたのかを思えば、呆然のなかにいつまでも座り込みつづけることはできない。組員それぞれが、それぞれで立ちあがり再び編集の手を動かしだす。格闘することおよそひと月。「外来」「出遊」「土発」のキーコンセプトのもと、各三十三冊、計九十九冊の「九州本の島」はやっとその姿を見せはじめた。

 

そもそも、なぜ三十三冊なのか。それはここ数年、「本は三十三冊で読もう」というキャッチフレーズで九天が活動してきたからだ。発端は千夜千冊1249夜『大乗とは何か』に書かれている。このなかで「君たちもいろいろ企画するといいよ。《三冊屋》だけじゃなくて《三十三冊屋》とかね」と校長に言われた別番がいる。古参の九天組員Nである。その別番Nが旗振り役となり、九天「三十三冊屋」が始まったのだ。ある人物やテーマを、三十三冊の本で表せるのではないかという方法的仮説に基づいた試みだ。「三十三冊屋」は、そのマジックナンバー33の由来である三十三観音のように、時と場に応じて自在に変化(へんげ)する本棚なのだ。

 

撮影:松岡正剛事務所


番期同門祭では、精選の九十九冊で織りなす「本の島」がブースに出現する。それは九州の「本来」と「将来」の動向を引き寄せるとともに、組員それぞれの「切実」と「恋闕」を色濃く反映したものとなった。九天ブースではこのほか九州における松岡校長の秘蔵映像の放映や、2023年2024年の年賀作品の実物展示もある。いずれも九州にゆかりが無い方でも見応えある内容だ。また、ブースでアンケートに回答された方には特典冊子「九天玄氣の郷読力」を先着100名様にお渡しする。 

 


展示以外では、字像舎の書籍『「筑後川」の本棚』の販売が行われるほか、ZIZOBOOKSでは番期同門祭を記念して、九天玄氣組マガジン『龍』デジタルブック版も販売される(期間限定9/14〜9/23まで)。
25周年を寿ぐのにふさわしい、賑やかで遊びあふれるしつらえを考案中なので、皆さまぜひ当日は九天ブースにお立ち寄りあれ。



文:みとま麻里

写真提供:松岡正剛事務所/中野由紀昌

  • みとま麻里

    編集的先達:藤原定家
    めんたいエディトン、中洲マリリン。二つの福岡ゆかりの教室名。イシスの九州支所・九天玄氣組の突撃女隊長。その陽気さの裏には知と方法と九州への飽くなき探究心をもつ。着付師をしていたという経歴の持ち主。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。