この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

ショートショートの動画が流行り、「いいね」一つで関係が完了する時代。しかし、一方的に受け取るだけでは物足りない。イシス編集学校は、発信者も受信者も互いを編集する。
講座の節目となる、83回目の感門之盟は、初の試みとして、3日にわたり行われる。
第83回感門之盟 「エディット・タイド」の13:00のスタート前に、52[守]若林牧子遊筆、遠藤健史師範が、本楼からオンラインに登場し、始まりの波を起こした。
紙のタブロイド、本楼、オンラインとメディアを横断して行われる感門之盟は、メディアを乗りかえ、持ち替えて、発信者も受信者も編集の妙味を楽しむ。
若林遊筆と遠藤師範が画面の前の参加者に、感門之盟のテーマでもある、「エディット・タイド(潮流)」にかけて、どんな渦体験を?と投げかけると、チャットには、うずうずな体験が投稿された。
「居酒屋でビールが来る前のうずうず」
「うずうずするのは、何にしろ、事始めの直前みたい」
「遠藤さんと若林さんのツーショットに多読を感じてうずうず。読書も料理のレシピっぽいですねー。」
講座を全うした学衆と師範代を寿ぐ感門之盟を目一杯味わって欲しい。食と農のコーディネーターである若林遊筆は、[守]のお題にちなんで感門の楽しみかたをレシピで仕立てた。
<感門と料理のインタースコア>
とどまることを知らない編集に 、イシス編集学校の前説を作り上げた、角山師範も顔を出し、zoomを盛り上げた。
<感門は一汁三編>
チャットの向こうの参加者に、遠藤師範は、こう投げかけた
「[守][破]の学衆のときには、コメントできなかったが、[花伝所]に進んでからコメントができるようになった。言葉にすると変わります」
尽きせぬ思いを編集し言葉にし続けることで、たくさんのわたしが生まれてゆく。
編集とは、多様を生み出していくことだ。
第83回感門之盟は渦を起こして開幕した。
北條玲子
編集的先達:池澤祐子師範。没頭こそが生きがい。没入こそが本懐。書道、ヨガを経て、タンゴを愛する情熱の師範。柔らかくて動じない受容力の編集ファンタジスタでもある。レコードプレイヤーを購入し、SP盤沼にダイブ中。
風に舞う花びらは、本楼から京都へと運ばれた。[守]の師範代は、[破]の師範代へと変身を遂げ、その笑顔には頼もしさが漂う。 思えば、53[守]の本楼汁講で、土田実季師範代は、その力を発揮したのだった。 202 […]
世界は「音」で溢れている。でも「切ない音」は1つだけ――。54[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイシリーズ。北條玲子師範が、タンゴを奏でる楽器「バンドネオン」について語ります。 ただタンゴの音を奏で […]
散る花を 惜しむ心や とどまりてまた来ん春の 種になるべき(西行) 春にもかかわらず、夏日や冬並みの寒さが交互にやってきたり、四季の感覚がすっかりおかしくなってしまったが、散る桜を惜しむように […]
柳田國男は『海上の道』で、海から来たものについて論じた。遠い昔、海流に乗って日本へとたどり着いたものたちがいたのだ。 第83回感門之盟のテーマは「エディット・タイド」EDIT・TIDE(海流)は回文になって […]
本との偶然の出会いから、意識すらしていなかった思考が形になることがある。 言語化できなかったもどかしさがページの中に現れる事もあり、予期せぬアケとフセに未知への扉が開くこともある。出版をめぐる状況は相変わらず厳しいが、人 […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。