【速報】「お題は自分で作るもの!」-九天玄氣組組長の玄氣の秘密とは【79感門】

2022/09/11(日)16:20
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「皆が取り組むお題を作ること、それが組長であるわたしのお題です」
中野由紀昌は、晴れやかに笑って言った。
佐々木局長が投げかけた「地方支所を仕立てるにあたっての組長のお題とは?」という問いへの答えだ。

 

 

感門之盟の2日目。
開幕後の冒頭を飾るゲストは九州支所・九天玄氣組(以下九天)組長の中野由紀昌だ。
九天はこの秋、16周年を迎える。
立ち上げからここまでノンストップで走り続けてきた。
その玄氣の秘密に佐々木局長が迫っていく。

 

 

まずは「九天と言えば」コレ。
毎年欠かさず松岡校長に贈り続けられているお年賀の紹介だ。
そもそも九天のスタートは、校長に贈った年賀状に「名もない支所に名前をつけてほしい」とお願いをしたためたところから始まった。
それ以来、組員の方法を結集したお年賀を届けるのが恒例になっている。
2017年までは内倉須磨子の手技を活かしたクラフト作品だったが、2018年からはそれに本が加わった。年賀のバージョンアップとともに、組員に課されるお題のハードルも急激に高くなった。2018年は『擬』にちなんで「校長をもどくこと」、2019年は千夜千冊エディション『少年の憂鬱』にちなんで「自らの幼なごころを明かすこと」だった。
文章で書くとひとことで済むが、「松岡正剛にモノを贈る」というプレッシャーは半端ないもので、たいへんな編集作業が組員に襲いかかる。

 

 


毎年組員に苛烈なお題を課す中野だが、組長自身も自らに課すお題があるはずだ。
そこで、佐々木が発したのが記事冒頭の問いだったのである。

自ら先頭を切って走りお題を投げかける中野に、組員が答えていく。それが今までの九天のスタイルだったが、その流れがここ最近変わりつつあると中野は言う。2020年頃から自発的にお題を立て、それに取り組む組員が増えてきたのだ。
「土発といいいますか、日本という方法があるなら九州という方法もあるはずだと思っているのですが、その仮説に向かって自分をつなげていく組員が目立ってきました」
その取り組みのひとつとして月に3回ペースで開催されるZOOMの番組がある。ここでは毎回九州につながるテーマが設定されて、組員による掘り下げが行われている。
「九州という方法」というTへ向けて、九天のプロフィールは大きく動いているのだ。

 

最後に「今日、感門を迎えた皆さんへのメッセージを」と乞われた中野はこう語った。

 

1 方法は編集学校に全部ある。方法を信じてこの先を見据え、稽古を続けてほしい。
2 皆さんには同じ門を出た仲間がいる。仲間がいるからできることもある。仲間とともに力強く進んでいってほしい。

 

「方法」と「仲間」への全幅の信頼、それが中野の語った餞の言葉だった。
それは同時に中野を支える玄氣の源でもあるだろう。
このふたつがある限り、中野と九天はこれからも走りつづけてゆく。

  • みとま麻里

    編集的先達:藤原定家
    めんたいエディトン、中洲マリリン。二つの福岡ゆかりの教室名。イシスの九州支所・九天玄氣組の突撃女隊長。その陽気さの裏には知と方法と九州への飽くなき探究心をもつ。着付師をしていたという経歴の持ち主。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。