この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

Mシャツと呼ばれ、感門之盟で、わずかな時間にお披露目されるグッズがある。
二期以上師範や番匠のロールを全うすると贈られる、吉村堅樹林頭と編集工学研究所の穂積晴明デザイナーの本気が詰まった、師範、番匠の激務を労うオリジナルグッズなのである。49[破]のMシャツのお披露目は、井寸房をランウェイに見立てて始まった。
ランウェイを意気揚々と歩く指導陣たち
華岡師範の笑顔とMシャツ
デザイナーの穂積さんにデザインの肝を聞いた。トーキングヘッズのアルバム『リメイン・イン・ライト』のアルバムをモチーフに、メンバー4人の顔を校長の近未来と、最も幼い顔に入れ替えている。一人の人間に中にある多様な
わたしがエディトリアリティであるという。
イシス編集学校では、たとえ一瞬、ひと時のものでも、編集の力が働いている。
佐々木局長から原田学匠へ、10期継続の記念に『写真集『Libraries』が贈られた。
おめでとうございます。
インスタ ストーリーも律走中!
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北條玲子
編集的先達:池澤祐子師範。没頭こそが生きがい。没入こそが本懐。書道、ヨガを経て、タンゴを愛する情熱の師範。柔らかくて動じない受容力の編集ファンタジスタでもある。レコードプレイヤーを購入し、SP盤沼にダイブ中。
風に舞う花びらは、本楼から京都へと運ばれた。[守]の師範代は、[破]の師範代へと変身を遂げ、その笑顔には頼もしさが漂う。 思えば、53[守]の本楼汁講で、土田実季師範代は、その力を発揮したのだった。 202 […]
世界は「音」で溢れている。でも「切ない音」は1つだけ――。54[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイシリーズ。北條玲子師範が、タンゴを奏でる楽器「バンドネオン」について語ります。 ただタンゴの音を奏で […]
散る花を 惜しむ心や とどまりてまた来ん春の 種になるべき(西行) 春にもかかわらず、夏日や冬並みの寒さが交互にやってきたり、四季の感覚がすっかりおかしくなってしまったが、散る桜を惜しむように […]
柳田國男は『海上の道』で、海から来たものについて論じた。遠い昔、海流に乗って日本へとたどり着いたものたちがいたのだ。 第83回感門之盟のテーマは「エディット・タイド」EDIT・TIDE(海流)は回文になって […]
ショートショートの動画が流行り、「いいね」一つで関係が完了する時代。しかし、一方的に受け取るだけでは物足りない。イシス編集学校は、発信者も受信者も互いを編集する。 講座の節目となる、83回目の感門之盟は、初 […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。