この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

ひらひらとおぼつかないからコミュニケーションは生まれる。
SNS、リモート時代に入り、コミュニケーションを取り巻く環境は大きく変わってきました。これまでつながることができなかった人たちと簡単につながることができたり、表現の場が広がったり、働き方が自在になったり、可能性はどんどん拡張したかに見えます。
にも関わらず、人間関係の希薄さ、窮屈さに疲弊する人、孤立する人、病む人が多くいるのはなぜだろう。いろいろ仮説することはできますが、ひとつには矛盾やズレを修正しようとし過ぎるあまり、一つの正解に向かってしまう。複雑なものを複雑なままに受け入れることができず、対立が生じやすくなっているのではないでしょうか。
編集学校には、「編集は対話から生まれる」という松岡正剛校長の言葉があります。対話を通して学びを深めていく相互編集の場が用意されています。その場の亭主となる師範代(編集コーチ)は、次々とお題を出題し、それに学び手である学衆が回答で応じていきます。そこに一つの正解はなく、師範代は多様な回答に指南で光を当てることで、学衆の可能性を開いていきます。
この場と対話の起点となる「師範代のコミュニケーション」に潜む方法の一部を特別に体験できるのが、3/3(日)雛祭りの日に開催されるエディットツアーです。花伝所はその名を世阿弥の『風姿花伝』に肖っており、継承されてきた型(モデル)を使った学びを重視します。コミュニケーションという行為も「エディティング・モデルの交換」と捉えます。
ツアー当日は、経験豊富な師範たちによる型の講義やリアル編集ワークを体験できます。「型がわかるとコミュニケーションがかわる」の実践です。
花伝所の本講座は[守][破]を修了した人向けですが、エディットツアーはどなたでも参加ができます。はじめて編集学校を知ったという方、コミュニケーションや師範代ロールに関心がある方、もっと編集工学を深めたいという方、まずはエディットツアーで「花伝所の型の学び」を体感してください。
「ISISの宝刀、師範代の編集術」オンライン開催
■日時:2024年3月3日(日)14:00-16:00
■費用:1,100円(税込)
■会場:オンライン(お申し込みの方にZoomアドレスをご案内します)
■人数:限定20名様(先着順)
■対象:どなたでもご参加いただけます
■ナビゲーター: 中村麻人、吉井優子、古谷奈々、嶋本昌子、林朝恵(イシス編集学校師範)
■内容:編集学校の花伝所で学べる方法をわかりやすくご説明します。独自の「編集稽古」をワークショップ形式で体験いただけます。
■お申し込みはこちらから:https://shop.eel.co.jp/products/detail/665
林朝恵
編集的先達:ウディ・アレン。「あいだ」と「らしさ」の相互編集の達人、くすぐりポイントを見つけるとニヤリと笑う。NYへ映画留学後、千人の外国人講師の人事に。花伝所の花目付、倶楽部撮家で撮影・編集とマルチロールで進行中。
通りを歩けば紫陽花を見かける季節がやってきた。 土の酸性度によって色が変わるこの花は、現在進行形で変化を続ける入伝生の姿にも重なる。 6月になり錬成期間に入った入伝生は師範代になりきって指南を書きまくる日々 […]
写真仲間求む!編集術でカメラと戯れる【倶楽部撮家】が多読アレゴリアにやってきた
「写真×編集」する倶楽部 写真に特化したクラブがついに多読アレゴリアでオープンします。クラブ名は「倶楽部撮家」。名付け親は松岡正剛校長です。 編集を人生する。撮影を人生する。カメラさえあればどなたでも参加可能です。プ […]
【劇団こまつ座】2度観ても笑撃、井上ひさしの『太鼓たたいて笛ふいて』
こういう作品は何度でも見たくなる。この物語を生きる人たちといつまでも茶の間で笑い続けたくなる。 2024年11月初旬、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで、井上ひさしの戯曲『太鼓たたいて笛ふいて』 […]
本楼にある黒いソファを移動して、その脇に求龍堂の『千夜千冊』と角川の『千夜千冊エディション』を並べて松岡さんを迎えた。2度目の肺癌で入院する直前の2021年4月初旬、急遽、オンランイベント「千夜千冊の秘密」で語り切れなか […]
ミームとは一体なんだろうか。 編集学校でよく登場するこの言葉を松岡正剛校長は「意伝子」と訳しているが、何がどう伝承されているのかは漠然としている。 「お題ー回答ー指南」というテキストベースの編集稽古をしている中で一体なに […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。