この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

3月末としては異例の28.1度を観測したらしい年度末最終日。本楼ではいつもとは少しだけ違う空気を纏って輪読座「富士谷御杖を読む」最終輪の座が開いていた。
輪読座といえば輪読師バジラ高橋と吉村林頭の2ショットがおなじみのところ、林頭から任されたDHを引き受けたのは編工研2年目の輪読小僧・山内だ。輪読座の司会進行であり、モデレータ、輪読座の顔となる立ち位置である。通常輪読座の黒膜を担当する山内の場所に入ったのは、JUSTライター、さらには倶楽部撮家としても編集学校のイベントで見ない日はない福井千裕氏。相互に身軽にロールを着替えての第6輪となった。
■富士谷御杖の「真言」の見方
5時間超に及ぶ前回の図象解説や輪読内容を元に独自の図象化をするのが輪読座恒例の宿題。1人目の宿題発表はT座衆だ。
「言葉通りに意味をとっただけで真意をとらえることができるのか、ということが御杖の言いたかったことではないか。”真言”は色々な見方ができる。完全に白黒つけられるわけではなく、補正できない、どちらかに偏るでもないもの。善悪も、ある立場からは善でも一方からは悪。固定できない動的なものであるということが頭にあったのではないか。」
御杖と量子力学に対角線があらわれた。T座衆の宿題資料にも「倒語/諷論表現は量子力学的表現?」のコメントも記載されていたあたりから座衆の御杖ヨミの深まりを感じた。
■ただよう「中」と3つめのモデルの立て方
2人目の共有はA座衆に託された。
「善と欲の2つの対比で考えた。善は安定しようとしているもの。欲は”ないもの”なのだが生まれ落ちたらどうにか人とつながりたいとか関わりたいとか。両方あわせもつ”中”という状態が生きているということで、それを御杖さんはモデルとして取り出す事でみんなが語れるようにしたいと思ったのではないか。また、3つめのモデルを必ずいれていると感じた。」
”ないもの”や二点分岐に三位一体と、編集要素を存分にとりいれた図象。「二項対立」という言葉からは三浦梅園の反観合一も想起させる。
宿題の共有を終えると、場はいつものように図象解説へと進んだ。第6輪の図象解説のテーマは「日本語文法の行方」である。
半年ごとにテーマが変わる輪読座。2024年の4月~9月期は『太平記』に向かい、奇妙な読み方をするらしい。コロナ禍以降はオンライン参加のみでの開催を続けてきた輪読座だが、4月からはリアル本楼参加も再開しようかという動きもあるとかないとか。
一人で立ち向かうには心折れそうな巨編をバジラ高橋の解説も含めて嗜んでみたい方は、毎月最終日曜日の予定を確保の上で続報を待たれたい。(輪読座は後日納品されるアーカイブ動画視聴での学びも可能である)
宮原由紀
編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。