「見立て」で新たな概念工事を【50守伝習座 学匠メッセージ】

2022/12/03(土)23:30
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じる〜コロナ社会の自縄自縛から再編集へ

2022年日本。12月に入るやいなや、全国的な寒波が到来した。季節が動いた。
 
2020年春のコロナ禍からおよそ3年。手探りだったオンラインにも慣れ、コロナ状態での講座にもプロトタイプもつかめてきた。
 
ここでとまらないのが編集道である。講座も季節のようにとどまらない。
 
このままでいいのか。[守]の講座や伝習座のあり方にも、概念工事が求められているのではないか。
 
12月3日(土)の[守]伝習座で、学匠の鈴木康代は、自らに課したお題を明らかにした。新たな問いを立ててアノマリーを呼び込むことこそ、編集を加速させ新たなフェーズへ転じるためのびっきりの方法なのである。
 
 

真似き〜できれば編集的に肖りたい〜

2022年秋、[守]講座は記念すべき50期という節目を迎えた。それとともに[守]講座でも新たな試みをはじめた。
 
指導陣のあいだで、2つの対話の機会を設けたのである。
 
1つは「まねき講」。師範・番匠・学匠が毎月集い、今後の講座のあり方やお題を更新する。お題に新たなBPTを設定し、講座のルル3条を思い切って動かしていく。
 
もう1つが、新師範を主な対象とした「返景会」だ。このネーミングは、これまで長きにわたり[守]の師範代を支えてきた番匠景山和浩の名前に肖ったもの。師範とはどうあるものかという「師範道」を新たに言語化・構造化していく。
 
50[守]では、師範や指導陣も先達に肖りながら、新たな編集をスタートさせていた。
 
 

虚実皮膜〜見立てもリスクを背負ふべし〜

講座全体の再編集はすでに始めている。それならば、今回の伝習座も新たな概念工事をしたい。
 
そこで、伝習座のお題テキストとして、この秋に刊行されたばかりの『見立て日本』を選んだ。用法3のお題の一つでもあり、松岡校長が重視する「見立て」に徹底的に向き合おうという目的である。
 
まず、師範代へのお題「50守エディットNOW」では、自身の教室のBPTを「見立て」を使って発表することとした。既知でありきたりな「当てはめ」の見立てでは意味がない。あえてちょっとわからないような見立てへ挑み、新たな教室編集のターゲットに向かうことができるかどうかが、このお題の鍵となる。
 
さらに伝習座最後のワークを「『見立て日本』読み合わせ」と題し、松岡校長が著している「見立て」の方法をリバースエンジニアリングする。これは師範代だけでなく師範も加わり、グループで対話をすることで、方法の核心に迫っていく。
 
今日の伝習座では上記以外にも、師範による用法解説、実践的な指南ワークと汁講プランニングなどが予定されている。康代学匠は、濃密で高速な学びの場となることが予感される伝習座のオープニングを、次のように締めくくった。
 
ベイトソンの「学習の3段階」に、学習IIIの段階では「異質」が入ることで相転移が起こる、とあります。今日の伝習座で、師範代のみなさんのルル3条が一変するかもしれません。そうしたリスクを引き受けて、創発を起こす場にしていきましょう。(康代学匠)
 
伝習座には校長松岡も同席。ワークキャップをかぶり、「見立てはお遊びではなくもっと強烈なもの。王手飛車どりのようにギリギリ勝負」「異質やアノマリーを恐れない。それが師範代」と、映画監督さながらにディレクションを入れていた。
 
今日の伝習座には、自らもイシスの守破離の講座を修了した田中優子先生もオブザーブで参加。「師範・師範代同士が課題を出し合い、議論をする伝習座のような場は、普通の教育の場にはほとんどない」と、伝習座について感想を述べていた。なお、50[守]を記念して、来月には50[守]の受講生を対象とした優子先生による特別編集レクチャーを予定している。
 
先週の[破]の伝習座につづき、[守]の伝習座でも学匠・番匠・師範に加え、本楼に多くの師範代が集結した。およそ3年ぶりの光景である。久々のリアル伝習座の熱を受け、伝習座の終わりには、「かなり早いクリスマスプレゼントだよ」と、松岡校長から「稽古」に関する秘蔵映像が校長による解説付きで贈られた。
 
(アイキャッチ:森本研二 テキスト協力:加藤めぐみ)
  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。