文明と生命の相似性を問いなおす【AIDA 第4講】

2021/01/16(土)20:00
img JUSTedit

人類は長らく社会文化的感染症にかかりっぱなしだった。

松岡正剛座長は、2020年の大晦日にクリストフ・ポヌイユ&ジャン=バティスト・フレソズの『人新世とは何か』を、2021年の年始にダン・スペルベルの『表象は感染する』を、千夜千冊で取り上げた。

 

前者は、グローバリズムや資本主義といった枠組みを超えた「人新世」という見方に触れつつ、既存の見方の再編集を問い、後者は「人類は長らく社会文化的感染症にかかりっぱなしだった」のであり、「文化がとっくに『特定の文化感染症』(たとえば資本主義感染症やコンプライアンス感染症)にかかりっきりになって、いつのまにかひどい“同質化症状”をきたしていることに突っ込めなくなっている状況を、いまこそ総点検するべき」と、同質化状態に無自覚でいる私たちに警鐘を鳴らしている。

 

新型コロナウイルスの影響下、今までにない新年をむかえた座衆にとって、両千夜は編集的社会像へ向かう手すりとなっただろう。

 

私たちは「すでに投げ出された存在」である。

2021年1月16日。Hyper-Editing Platform[AIDA]全6講の折り返しとなる第4講で、安藤昭子氏は『知の編集工学』の一節を通じて、編集的社会像をターゲットXに据える私たちが立つ世界像を共有する。

 

 ”私たちはすでに投げ出された存在なのである。歴史のなかに投げ出されているし、生まれて自意識が芽生えたときにも、すでにあらゆる先行性が準備されている。編集はその只中から出発をするトランジット・ワークなのである。” ー『知の編集工学』p.333 

 

「Reset」ではなく「Re-Edit」へ、という第3講でのメッセージも、編集工学研究所の「生命に学ぶ」「歴史を展く」「文化と遊ぶ」というフィロソフィーも、この見方がベースとなっている。

 

 

進化生物学と略図的原型から「文明と生命のAIDA」へ

第4講では進化生物学の第一人者であり、『進化する形 進化発生学入門』(講談社現代新書)などの近著のある倉谷滋氏をゲストに迎える。

 

生命はなぜこのような形となり、どのように進化していったのか。進化生物学の方法に準えつつ、我々の文化や文明がなぜ今のような形になったのかを問い直していくことで、今シーズンのテーマである「文明と生命のAIDA」に迫る。その方法の手すりとして、吉村林頭による「略図的原型」を中心とする編集工学レクチャーの他、倉谷氏と師弟関係にある進化生物学者の入江直樹氏や、ボードメンバーとして初参加となる経済学者の岩井克人氏らを交えた座衆セッションなどが予定されている。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。