この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

昨日からの空模様は引き続き、豪徳寺を春雨で包む。桜もすっかり縮むような冷え込みだ。
だが本楼に集った、[遊]物語講座17綴を駆け抜けた叢衆と指導陣は、思いがけない寒さをも物語の部品として味わう編集力を持ち合わせている。績了を迎え、降り注ぐお題と格闘した日々を振り返りながら、言祝ぎと歓びを感話するひとときを一座建立した。
文学少女で国文学を専攻していた小濱有紀子創師は、叢衆として2綴を疾走した折に、イシスがさまざまな場面で伝えている「物語編集」の神髄が、この講座に詰まっていることに気づいたという。
いざ物語を綴るとなると、物語の5要素のうち、ついつい【ストーリー】ばかり注意のカーソルを向けがちだ。だが、お題と向き合うことを通じて【ワールドモデル】や【ナレーター】など、ストーリー以外の要素こそが、物語を物語たらしめることを発見していく。
物語の方法を学ぶことは、単なる「読み書き」を越えていく。仕事や家事、人間関係、地域や社会を、自分らしく「読み解き」「創る」方法へと発展していくのだと、小濱創師は語る。
創はつくること、そしてきずつくこと。創師という名を受け取ったとき、松岡校長は、これまで小濱に向けてきた表情と違い、めずらしく笑顔だったという。
「いい名前だろ」の声と、笑顔。その面影と「創」に込められた意味。それらを引き受け、責任と覚悟を持って物語講座のナカで伝えていきながら、ソトに持ち出していくたくらみをあたためる17綴だったと、胸中を伝えた。
物語を遊び続ける永遠の菫色少年・赤羽卓美綴師は、2008年の講座創成から17綴までの物語を、現代を象徴し続けるアイテムの歴史と重ねた。
iPhone17がリリースされる2025年、物語講座も17という綴を迎えることができた。世界に革命をもたらしたデバイスが進化し続けていく物語は、イシスでの物語講座のトランスフォームの様相と共通するという。
16、17[破]の指導陣が立ち上げたオペラプロジェクト。もっと物語を研究したいという与件から始まり、松岡校長のディレクションのもと『物語編集力』の出版を経て、[遊]物語講座の始動へと、つぎつぎとゆれ動くプロフィール。
誰もが親しんでいる物語を方法的にインプット・アウトプットするリテラシーを学ぶ。それを、自分のナカにあるものではなくソトからの刺激をトリガーとして物語る編集力を培うプログラムとして組み立ててきた。
そんな講座クロニクルをルーツエディティングすると、17綴の今、あらためて課題が見え隠れしたという。オペラプロジェクト再燃の野望もチラリと触れながら、今綴の旅路を共に走り抜けた仲間たちをねぎらった。
物語講座の本来を抱え、将来を見据える、創師と綴師。世界は物語で満ちていることを示すロールの二人によって、績了式の幕が開いた。
三國紹恵
編集的先達:ヴァーツラフ・ニジンスキー。聞かせます、エディット情話。大衆芸能と昭和歌謡を愛する唄女・つぐえは、学衆、師範代、師範のフラジャイルな逸話を紡ぎ続ける。伝えたいメッセージは「編集だよ、おっかさん!」。
48[守]の19教室では、113名の学衆が見事、門を出た。彼らは、なぜイシスの門を叩いたのか。[守]で何を得たのか。何がかわったのか。師範によるインタビューによって、学衆の「声」をお届けする第3回目。「姉妹対談」編をお […]
暑さ寒さも彼岸まで、とはこの時季よく耳にする慣用句。 日射しを受ければ影も長く、風も涼しく乾いてきた。秋は今年も着実な足取りでやって来ている。 春~夏講座を終えて一段落した9月。手持ち無沙汰な想いを抱いている学衆も […]
師範代のハレの場である感門表授与には、涙がつきものだ。 コロナ禍での感門之盟も4回目ともなれば、[守]卒門式のZoom越しの感門表や卒門証の授与もまた、お馴染みのプロフィールになりつつある。とはいえ期毎に師範代も学衆 […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。