この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

5月に肺がんの手術をし、自宅にも本楼にも酸素ボンベ。そしてこれが、イシス全体に顔を見せる初めての機会である。松岡校長は、第77回感門之盟で何を口にするのか。誰もがその言葉を待った。
さすが校長は期待を違えない。これが第一声だ。
「ヒゲだけかよ」
司会の嶋本昌子さんが「校長のヒゲのファンなんです」と語ったことへのツッコミだった。
編集は機を逃さない。このひと言で場には動きが生まれ、司会にドライブがかかった。
グレーのスーツ姿で登壇した校長が、テーマ「DANZEN」を引き取って真っ先に口にしたのは、「ダンテン」だった。破断点、遮断点、切断点、中断点、区切点、休止点、横断点の「断点」だ。
「私たちは断点をたくさん持っています」
「例えば」と校長はパラリンピックを例に挙げる。障害はいわば断点だ。だが障害度にあわせて細かくルル三条を編集することで、そこにはイキイキとした場が出現する。
「断点は、私たちの学習、知識、表現力にもあります」
断点は言い換えれば、分節点だ。フラジャイルや不足、編集の機と言い換えることもできるだろう。
だがこれらの「断点」は、摩滅しているか、目に見えなくなっている。捨てられたり、忘れられたりしているものもある。
ではどうするか。
「潜んでいる断点を掘り返して繋げていかなければいけない」
守の38のお題は、校長らが練り上げた「断点」だ。この断点をめぐり、「ワカル」「カワル」――問感応答返を繰り返す。これがイシスの稽古だ。
「自らダンゼンを導き出してください」
それぞれのダンゼンを極める2日間――第77回感門之盟が始まった。
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。