この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

情報はいろんな「かたち」をとってわたしたちの周辺を動いている
『知の編集術』『知の編集工学』『インタースコア』などと共に、編集工学の入り口となる一冊に『わたしが情報について語るなら』がある。帯には「情報で世界が見える 編集が自分を変える」とある。
その「はじめに」にはこう綴られている。
情報はいろいろなコミュニケーションのための「かたち」をとるということがわかってきたと思います。そうなのです。情報はいろんな「かたち」をとってわたしたちの周辺を動いているんですね。
ー松岡正剛『わたしが情報について語るなら』(ポプラ社)より
情報を捉えるには「かたち」が欠かせない。
では、形と情報の関係はどのようなものだろうか?
「かたち」がないと情報の居場所がない
情報について知りたいなら千夜千冊エディションの『デザイン知』『情報生命』は必携だ。
松岡校長も「その両方をみてもらえればわかる」という。
今回の感門之盟のテーマは「Inform共読区」。このInformとはなんだろうか?
Informというと「かたち」に入るもの、などと訳しかねないがそうではない。
形がないと情報の居場所がないと考えた方がいい。「かたち」があるところに情報は入っていく。
守の最初のお題でも、コップにどれだけの情報が詰まっているか、思い出す方も多いのではないだろうか。
松岡校長は古詩の漢詩に「かたち」を感じ、「かたち」ごと取り出して書画にあらわした。
感じたことをあらわす際のちょっとした「かたち」を大切に
Informと共に並ぶ「共読区」は、2011年、東日本大震災翌月に開催された感門之盟のスローガンである。
震災後、津波や原発のメルトダウンが襲い、感門之盟でも黙祷をした。
日本の科学者の始まりと松岡校長が絶賛する寺田寅彦は「災害は忘れた頃にやってくる」と詠み、その弟子で雪の研究者の中谷宇吉郎は「雪は天からの手紙である」という。
つまり、私たちは遠くからやってくるものや、自分たちの中にひそむ遠いものとのであいもおこっているるし、おこるべきだろうと。
みんなで遠くからくるものや、近いものから湧き上がってくるものを共に読んでいこうじゃないか。
共読は読書に限らないが、やはり本の共読は格別だ。
本もコップも雪も回答も指南も、読み・感じ・あらわれる時のちょっとした「かたち」を大切に。
たくさんの「かたち」を共に読む感門は始まったばかりだ。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。