この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

53[破]師範代がスタートラインへさしかかる。9月29日、第一回「突破講」がZoomで開催された。「突破講」とは、[破]の指導陣が決起する場である。師範代が先駆けて突破しよう・自らの殻を破ろうという意味が込められている。
私は53[守]で師範を担当し、師範代とともに守の型を謳歌した。その師範代たちが出世魚教室名を引き受け、53[破]へ出走する姿をオブザーブしようとZoomに繋いだ。新たなロールに少し不安げな気持ちがあるのだろうか、いささか師範代の表情筋が強張り、口元が一文字に見えた。
はじめのコーナーは番匠・白川雅敏による[破]の指南レクチャーだ。松岡正剛校長の言葉が綴られるインストラクションマニュアルを師範代たちが音読し、身体化していく。[破]の師範代にならないと目にすることができない秘伝だ。
白川番匠は「これから進む53破というレースを破格な状態で喝破・打破・走破しよう。そのためにありきたりではない言葉で、学衆の中に蟠っている“本来”を引き出してもらいたい」とエールを送った。
次のコーナーでバトンを受け取ったのは新番匠・戸田由香だった。戸田番匠は[破]で学ぶ文体編集術の型のレクチャーをする。型は「思いもよらないメッセージを発見するための方法」だと自らの実感をもとに語る。
戸田番匠は、イシスに入る前には文章を書いた経験はほとんどなかった。アリス賞を受賞した物語編集術では3000文字の物語を書けてしまったことに驚いたそうだ。型とお題があれば自然と書けるようになると確信をもつ。戸田番匠は師範代たちのモヤモヤした不安な気持ちを掬うように、悠然とした口ぶりで手厚い解説を施した。
番匠のレクチャーは栄養たっぷりのエネルギー源だった。実は、53[破]師範代の4人はかつても白川・戸田両番匠にエネルギーを与えられた経験を持っていた。
大澤実紀師範代(幕をあけます教室)
菅原誠一師範代(なんでもデコトラ教室)
織田遼子師範代(世界にダブルページ教室)
笹本直人師範代(声文字X教室)
彼らは学衆時代には、教室の師範であった両番匠から既知の世界を打破する方法を与えられた。そして今は師範代となり学衆にエネルギーを渡す時がきたのだ。
大学1年生で入門し、今は国文学を専攻する大学院生の織田遼子師範代は突破講を受けて、こう語ってくれた。「師範との交わし合いの中で、守は母のように包容されるイメージで、破は外部と繋がる父的なイメージをもった」と言う。「守ではたくさんの道具を使って学衆さんと一緒に楽しく遊んできた。破では学衆のコンテンツを相互に磨いていくものだと思った。見方を変えながら世界を創っていきたい」と期待に胸を膨らます。
写真1)世界はページ教室・織田師範代と遊んだ仲間たち(9月感門之盟番期同門祭)
写真2)織田師範代が作成した世界はページ教室のフライヤー。
世界はめくれ、次は53[破]「世界にダブルページ教室」へ向かう。
強者ぞろいの学衆と数奇な「本」と「方法」で繋がり、戯れながら53[守]「世界はページ教室」を創った織田師範代。「破では学衆の方法を励まし、思いも寄らない出会いに夢中になりたい」と、情報も学衆も励ましていこうと決意に満ちた表情が残った。
53[破]の号砲は鳴らされた。言葉の汗をかきながら、破られていく体験を何度も何度もすることだろう。一人では味わうことができない53[破]レースを駆け抜けろ!
イシス編集学校 54[守]師範 紀平尚子
紀平尚子
編集的先達:為末大。
アスレ・ショーコにアスロン・ショーコ。自身の名前を冠する教室名をもつ編集学校では希少な体育会系の師範。本業は女子バスケットボールのアスレチックトレーナーで、2023年には全国6連覇を達成した。叩かれて叩かれて心が折れてもめげない、笑顔とガッツの編集体力が持ち味。
トライアスロン・ショーコの編集稽古――53[守]師範数寄語り
「トライアスロンに挑戦します!」。3月の感門之盟で、51[破]アスロン・ショーコ教室の師範代を終えたばかりの紀平尚子は、高らかに宣言した。約束を果たすべく、5月18日、紀平は東京の青白い島を前に、スタートラインに立った。 […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。