「仮留め上等!」の極意は『徒然草』にあり!? 【51守番ボー】

2023/06/07(水)08:08
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 51[守]では<番選ボードレール>が始まり、各教室では、師範代の「仮留め上等!」という声が響いています。
 未完成の回答を出していい。そんなふうに背中を押してくるけれど、でも……。多くの学衆は、まだそのことに戸惑っているようです。そうですよね、「仮留め」を見せるなんて、練習風景を覗かれているようです。

 

 ではなぜ、イシス編集学校では、秘伝のごとく、「仮留め上等!」の言葉を口にし続けているのでしょうか。
 実は、約700年前に、吉田兼好が理由を指し示してくれています。
 松岡正剛校長が、言葉のチューインガムのように何度も噛むという『徒然草』の一節です。

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得うることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つひ)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。(第一五〇段)

 

 意訳してみましょう。
 何かを身につけようとする人が、「下手なうちは、人に知られるのは恥ずかしい。こっそり練習して上達してから披露しよう」と口にする。よくあることです。だって未完成を人に晒すなんて恥ずかしいですものね。
 ですが吉田兼好は、こういう人に手厳しい。「下手なうちは~」と口にする人は何も習得できないと断言するのです。ではどうすればいいか。未熟なうちから、上手の中に混じって、笑われてもめげずに稽古に励む。そうやって稽古に励んでいれば、最終的には、その人の能力にかかわらず、大成する。こういうのです。

 

 鎌倉時代の人も、「下手なうちは、人に知られるのは恥ずかしい」と思っていたということです。みんな同じですね。でもそれでいいの? それじゃ学べないし、変われないよ? と吉田兼好は看破しました。じゃあどうするか、ということを『徒然草』に書いたのですね。

 恥と思わず、未熟な姿を見せよ。兼好さん、いいこといいますな。

 

 第一五〇段には、続きがあります。

 天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒(はうらつ)せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道かはるべからず。(第一五〇段・完)

 

 世に一流と言われる人でも、はじめは「ド」がつく下手でした。しかし、「仮留め上等!」で、磨きながらちょっとずつ前に進んでいったら、誰もが「万人の師」となれる。

 

 これぞ「仮留め上等!」の極意です。稽古(回答)を繰り返しながら、その場に立ち止まらず、満足せず、前へ前へと進んでいくということです。その先には……
 吉田兼好の約700年前の提言に、さあ、51[守]の学衆諸君も、乗っかってみませんか?

  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。