◎速報◎[破]には “怪物”が必要だ【50[破]伝習座】

2023/06/03(土)18:44
img JUSTedit

台風と梅雨前線の猛襲で幕をあけた6月。ようやく雨脚が弱まったころ、世田谷豪徳寺ではイシス編集学校の前線ともいえる伝習座がはじまった。応用コース[破]の指導陣がイシスの本拠地・本楼に集い、方法の学びと継承の嵐が巻き起こる。

 

午後1時、第170回伝習座は校長松岡正剛の映像からスタートした。語りのテーマはずばり、「破」とはなにか。カジュアルなTシャツ姿でチョークを持つ校長は、黒板の中央に「破/break」という文字を置いた。

 

なにかがあってbreakが起こるのではない。そもそも宇宙は「自発的な対称性の破れ」から入っている。「ゆらぎ」そのものが秩序をつくり、地球をつくり、生命をつくり、社会をつくり、国家をつくり、コンプライアンスをつくり、家庭をつくってきたわけで、はじめにbreakがあった。まずはこれを重視してほしい。

 

宇宙137、8億年の歴史を溯れば、そもそもが破/breakだった。破こそが秩序や意味をつくってきたのである。では編集学校の応用コース[破]でなにが起こるのか。黒板には3つの「破」が書き加えられた。

 

喝破/find out ―型を使ってなにかを見出さねばならない。

打破/strike out ―壁を打ち破らねばならない。自分で壁をつくってでも打破することが必要。

走破/running out ―走り抜けなければならない。

 

喝破で見出し、打破で壁を破り、走破で走り抜ける。[破]のお題に取り組みながら、何度も喝破、打破、走破していくことが必要だ。ハイチャージの状態によって割れ目や裂け目ができ、ネットワークが生まれ、ネットワークこそが意味をなす。その網み目を「世界」と見なして要素・機能・属性を入れこみながら、途中のどこかで「モンスターを出してほしい」と校長はいう。

 

ひとことも聞き漏らすまいといった表情で画面を見つめる師範代たちに、さらに校長の言葉が突き刺さる。

 

つまり[破]はデモンストレーション、化けもの(monster)を外に(de)出してほしい。きみたちを見ていると、まだ化けものから遠い。やさしすぎる、簡単すぎる、いじり倒していない、見立てが足りない。これからの[破]では、もっと化けものを出してもらうことを期待している。

 

 

長年、松岡校長と仕事をしてきた月匠・木村久美子は「モンスター」のシソーラスに触れた。「変を恐れるな」「瀬戸を越えよ」「とことんやりなさい」「よくよく練られた逸脱へ向かえ」。いずれも校長によるモンスターの言いかえである。

 

モンスターという言葉だけにとらわれず、その奥にある意図をそれぞれが言いかえ、持ち出していってほしい。

 

つい先日、カンヌには是枝裕和監督の『怪物』があらわれ拍手喝采を浴びた。方法の豪雨を浴びたイシスの50[破]に、怪物はいつあらわれるのだろうか。

  • 福井千裕

    編集的先達:石牟礼道子。遠投クラス一で女子にも告白されたボーイッシュな少女は、ハーレーに跨り野鍛冶に熱中する一途で涙もろくアツい師範代に成長した。日夜、泥にまみれながら未就学児の発達支援とオーガニックカフェ調理のダブルワークと子育てに奔走中。モットーは、仕事ではなくて志事をする。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。