この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「みなさん、焼きマシュマロサンドイッチってご存知ですか?」と八段プラモデル教室のフロントランナーの一人である学衆Hが元気よく問いかけた。汁講でのお菓子に見立てた自己紹介「おかしなわたし」の一コマだ。「普通は考えないマシュマロの食べ方なのですが、意外とマッチするんです。周りの人が持つ印象とその真逆の印象、そういうバラバラな要素が組み合わさっているのが私です」と語り、「私は焼きマシュマロサンドイッチ」と言い切った。
師範代の小松原一樹は、この日のために、学衆たちに「おかしなあなた」を用意していた。「『焼きマシュマロサンドイッチ』なHさんには『フォンダン・オ・ショコラ』を贈ります」と応じる。ケーキ生地からチョコレートが溶けだすように、多彩なアナロジーが広がる稽古ぶりを見てのことだ。Hは、お題021番の「秘密基地からBPT」で、三つもの回答を届けた。「親友とのおしゃべり」から「遺伝子工学の行方」に到達するまでの間、「甘く芳香な日本酒の香り」「森羅万象という日本的思想」「著名な生物学者の本」とプロフィールが幾重にも揺らいだ。バラバラなあれこれが組み合わさって新たなイメージを生み出した。「豊かな連想を活かして、更に発想力を高めてほしい」と師範代が期待を寄せる。
自らの「おかしなわたし」と師範代からの「おかしなあなた」が合わさって、新たな「わたし」が立ちあがる。汁講後、第2回番ボーが始まると、「ちょっと緊張しますが、まずは番ボー2の一発目いきます」とHは教室の先頭を走る。「焼きマシュマロの着ぐるみを着て、師範代に見守っていただきながら存分に遊ぼうと思います」の宣言通り、出題から4日目で既に4回の再回答。連想が止まらない。
「総力戦で参りましょう!」と学衆Tも応える。仲間の間で競いが始まった。八段プラモデルの工作室は、今日も意気軒昂だ。
<2022年6月25日(土)八段プラモデル教室第1回汁講参加者>
皮はパリパリ中身は甘いシュークリームな武内一弘さん、粘り強さはしっとり最中並みな
舟本栄子さん、焼きマシュマロサンドイッチな半田薫子さん、ちょっと変わり種をつつき
たいホッピングシャワーなMさん、鈴木康代学匠、小松原一樹師範代、師範阿曽祐子
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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名もなき船長からのメッセージではじまった2024年冬の群島ククムイの航海は、3つの島めぐりから成る。 島は言葉を求め、言葉は島を呼び寄せます。 島々への航海は、だから変異する言葉のはざまをめぐる航海でもあります。 「音 […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。