この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「サイダーと麦茶の略図的原型を考えてみましょう」と唐傘さしていく教室の師範代、大塚信子が汁講で学衆たちに問いかけた。出題されたばかりの第2回番ボーのミメロギアお題のひとつ「サイダー・麦茶」のワークに取り組む手前のことだ。
情報の「らしさ」を掴むことができるのも、それを表現に活かすことができるのも、私たちのアタマの中で略図的原型(プロトタイプ・ステレオタイプ・アーキタイプ)が、はたらいているからだ。なかでも、アーキタイプは、人間の意識・感情・記憶、文化そのものの奥にひそむ共通イメージ。思考にも影響を与えている。
大塚は、お題019番「社長のプロトタイプ」で、アーキタイプ探しに苦労した学衆たちに指南を届けたところだった。
【アーキタイプ】は、物事の本質を知るのに適しています。
そのため、【プロトタイプ】の林を抜け
【ステレオタイプ】の草むらをかきわけたときに、
みつける【アーキタイプ】はことのほか輝いているように
感じます。
簡単にたどり着けないのが、【アーキタイプ】です。
見つかったときの喜びは格別ですよ。
汁講最中の大塚からの突然の問いに、一瞬は静かになった面々だったが、数分後に弾むようにアーキタイプを辿りはじめた。子どもの頃の記憶と結びつけて、学衆Nが取り出したアーキタイプに感嘆の声があがる。ステレオタイプの「三ツ矢サイダー」「伊藤園の鶴瓶さんの麦茶」に頷きあいながら、更なるアーキタイプ連想の輪が広がった。
【サイダー・アーキタイプ】
ご褒美、発明、原動力、刺激、爽快、盛り上げる、はじける、
清涼感、喉越しさわやか、懐かしさ
【麦茶・アーキタイプ】
労り、潤い、一服、もてなす、整う、やさしい、染みわたる
「一緒にミメロギアをかじれたことが励みになりました」と一同は汁講後に番ボーラリーに突入した。期間中の学衆たちの回答には、毎度アーキタイプが添えられ、更新され続けた。大塚は、情報の「そもそも」や「ルーツ」を追い求める構えに目を細めながらも、「まだまだ」と「らしさ」に迫る手を緩めない。そんな中「そもそもこれって?と問いかけることによって相手への理解が深まったり、相手の行動の意味が分かったりするんですね。これは仕事にも使えそうです」と学衆Tが呟いた。編集術という唐傘を携えて、教室から飛び出していく日が近づいている。
2022年7月2日(土)唐傘さしていく教室汁講でクルクルと傘を回しあった。
学衆:高田智英子、沢村友希、S.M、村瀬裕子、中垣理紗、M.A、中村亮太
鈴木康代学匠、石井梨花番匠、大塚信子師範代、師範阿曽祐子
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。