コップ持ちかえ、盃傾け、守から破へー49[守]

2022/09/13(火)07:53
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 49守は、8月21日24時に全番回答期限を迎えた。卒門を決めた学衆を寿ぎながらも「まだやり残していることがあるのではないか?」と八段プラモデル教室師範代の小松原一樹と唐傘さしていく教室師範代の大塚信子の胸が少し疼いていた。

 学衆時代に他教室の学衆との関わり合いが嬉しかったと顔を綻ばせる大塚は、開講以来、学衆同士の交わりのキッカケを虎視眈眈と狙ってきた。ミメロギア番ボーの後、唐傘勧学会にあがった作品の感想を他教室に配達し、作者からの返礼を「49守の仲間の息吹を感じてくださいね」と唐傘学衆に届けた。小松原は「今までの自分を壊し、新しい自分を創り出す」と決意して教室運営に臨んできた。ことあるごとに「別院に飛び込んで」と八プラ学衆たちの背中を押し、「波紋を起こしちゃっていい」「楽しんだもん勝ち」と繰り返し搔き立てた。いつもと異なる場所でのいつもと異なる相手との相互編集、その対話からこそ編集契機が生まれること、入門このかた体験し続けてきた二人の親心だ。

 

 「卒門した学衆さんが交し合う場をつくりたい」という師範の呟きを耳にすると、水を得た魚のごとく二人が前のめりになった。「なんだか、おもしろそうです!!」と大塚が声をあげれば「思いっきりおもしろがろう!」と小松原が応じる。たちまち、大塚から「学衆さんの心に残った一言を聞きたい」「やわらかいダイヤモンドの型を使いたい」とアイディアが溢れる。小松原が、即座に文章に仕立てていく。24時間後には別院企画のアウトラインが立ちあがった。

 高速な相互編集で山頂が見えてきたものの、何かが足りない。タイトルがしっくりこないのだ。タイトルは、つけられた対象の特徴をあらわすだけでなく、見た人の関心を惹きつける役割も担う。つけ方次第で、対象の見え方を大きく変えてしまうものなのだ。49守の仲間全員に参加してほしいならば妥協することはできない。大塚は「49守らしさ」を出したいと、お題、別院、千夜千冊、辞書の中を巡り、80個ものプロフィールを経て、ついにタイトルを生み落とした。小松原が仕上げ編集を効かせたのち、別院で号砲が放たれた。

 

   ~ 千盃千話★49守アルバム篇 ~

 

 コップのお題から始まった49守の編集稽古。
 みなさん一人一人に、たくさんの想い出が詰まっているはず。
 それは教室の指南や共読や、勧学会での笑顔や別院での緊張
 だったりするかも。

 卒門決めた方も、残念ながらそうでない人も、
 49守を共有した仲間だからこそ、
 キャンプファイヤーを囲んでの話しも尽きないでしょう。
 ここは学衆も、師範代も、師範も、番匠も、学匠も 
 コップを傾け、さあ乾杯です!!
 
 たくさんの、みなさんの思い出が刻まれるように!

 もちろん松岡校長の千夜千冊にも擬えたこのタイトル。
 どんな切り口からでも語ってくださいませ。

 

 「待ってました」とばかりに学衆が応じる。

 ・自分自身の振り返りとして、書き留めておこうという気持ちで
  書いてみました!


 ・皆さまの『事件』や『言葉』を拝見してお教室の稽古模様が映
  像で伝わってくるようでした 。


 ・他の教室の様子も垣間見えて、眩しいばかりです。

 

 アタマの格納庫から記憶を手繰り寄せて、型と言葉を添える。書くことは、書きたかったことを改めて発見することである。放たれた言葉は、決して一人ではいられない。次の誰かの編集のタネとなっていく。アルバムを携え、たくさんの盃と共に、49守は次のコップを求めにいく。

 

八段プラモデル教室小松原一樹師範代、唐傘さしていく教室大塚信子師範代

  • 阿曽祐子

    編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。