この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

2020年4月20日午後。
新型コロナウィルス・パンデミックの渦中の時、松岡正剛校長のメッセージを合図に45[守]が開講した。パンデミック“にもかかわらず”なのか、“だからこそ”なのか、教室数を増設するほどの盛況ぶりだ。
なにが起こっているのか。時代の空気と照合しつつ、松岡校長のメッセージを紹介する。
「私はこのネットスクールを2000年に立ち上げたのですが、当初からリアル=ヴァーチャルなコミュニケーションを重視しました。SNS時代になって、ようやく時代が追いついてきたようですが、どっこいイシスはどこにもないコミュニケーションが交わされる学校です」。
…緊急事態宣言で内こもりの時代、ネットを介したイシス風の学習は安全だ。
そしてここには「どこにもないコミュニケーション」がある。
では、それはどのようなものか。
「この学校には私の経験や構想がかなり注入されています。また、未来のための仮説や実験もいろいろ仕込まれています。そのしくみの基本は、『問・感・応・答・返』でできています。問うて、感じて、応じて、答えて、返しあってください」。
…師範代と学衆たちが、編集稽古を通じて言葉を交わし合う。
互いを評価し合う過程で、それぞれが“目利き”になっていく。
イシスならではのコミュニケーションだ。
これこそが、今求められているのではないか。
「世界も人生も種々さまざまな変転に満ちているのです。楽観はできません。新型コロナウィルスがもたらしたことは、そうした警鐘です。諸君の奮闘を期待しています」。
…“世の中でいちばん不変なこととは、変化することです”とも、松岡校長は述べる。
自ら情報を動かすことで、変化に対応するための“方法”をイシスでは学ぶ。
「日本列島のどこもかしこもが、コロナウィルス禍に喘いでいます。平時が私宅とスーパーマーケットに閉じ込められて、あとは有事ばかりかと見紛うほどです。諸君は大丈夫ですか。」
…そう述べる松岡校長は鼻うがいでコロナ対策をしているらしい。
禁煙は、いまだにしていない模様だ。
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。