43[破]セイゴオ知文術に向けて 42[破]受賞作の稽古模様

2019/11/01(金)20:42
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 43[破]は開講3週目を迎え、いよいよ文体編集術の総仕上げ「セイゴオ知文術」にさしかかっていく。10月26日、比叡おろし教室の角山さんからセイゴオ知文術の初稿が届いた。22日に文体編集術・後半のお題が届けられ、わずか4日目のことだった。

 

 セイゴオ知文術は、10冊の課題本から1冊を選び、一般の読み手を想定して800字で紹介する編集稽古だ。しかし、ただの紹介文、感想文ではない。松岡校長の千夜千冊を擬き、本や著者のもっているスタイルに合わせてモードを編集する「モード文体術」、知識情報を的確かつ適切に用いて編集する「知文術」を合わせたものが求められる。

 

 稽古の先には、11月10日を締め切りとして、43[破]最初のアワード「アリスとテレス賞」のエントリーが控えている。優秀作として、モード文体術と知文術が高度に融合した作品に贈られるのが「アリストテレス大賞」だ。

 

 前期42[破]の「アリストテレス大賞」は、はじかみレモン教室の福井千裕さんが受賞した。選んだ本は『文字逍遥』(白川静著)。漢字の構造から字の初義を考え、その後の展開を文化史や精神史の立場から紐解く「遊字論」「道字論」を始めとしたエッセイ集で、重厚にして硬質な筆致でありながらも、万葉の詩情薫る白川漢字学の入門書でもある。

 

 福井さんの稽古ぶりは、受賞作を決める選評会議でも話題になった。気がつけば夜が明ける日々が続き、初稿が届いたのは、エントリー前日。回答の余白には、苦しみ、あがいた爪痕が刻まれていた。マーキング、キーワードの書き出し、白川が甲骨文字を書き写していたことを知れば、自身でも文字をなぞり、手を動かす。「たくさんの白川静」を知るために関連書籍にも手を伸ばした。

 

 格闘の末に生み落とされた初稿は、白川静を見事に擬いていた。字義の背後にある呪性をまとい、言葉を扱う覚悟が伝わる。梅澤師範代は「憑依力」という言葉で讃えた。

 

 稽古の中で福井さんは、文字を通して神の声を聞き、生きた人々の面影を追っていた白川静の姿に、自分の魂も共鳴して震える感覚を覚えたという。推敲では「(文字学の)定説を覆した」という出来事に対し、「覆す解釈だった」「覆す事件だった」「覆す発見だった」など、評価づける言葉を入れるべきかどうか、言葉ひとつ、その意味やイメージがどう伝わるかにも心を砕き、最後まであがき続けた。文字と向き合い続けた白川静を常に感じていたかのように。

 

 今、43[破]では、全9教室73名が学ぶ。10冊の本、10人の著者が新たな出会いを待っている。著者の言葉がどのようにして生まれてきたのか、自分のヨミをもって迫ることで新たな見方や言葉を獲得し、思いもよらなかったメッセージに出会えるだろう。未知へと挑む、セイゴオ知文術に期待したい。

  • わたなべたかし

    編集的先達:井伏鱒二。けっこうそつなく、けっこうかっこよく、けっこう子どもに熱い。つまり、かなりスマートな師範。トレードマークは髭と銀髪と笑顔でなくなる小さい目。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。