この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

4年ぶりに日本列島中を人が往来するゴールデンウィークだった。直後の2023年5月8日、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが、5類感染症へと移行した。電車はノンマスクの乗客が増え、人気の少ない道では少なくない人がマスクを外していた。マスクを取ってはじめて、街中で口元の表情がおろそかになっていたことに気づいた方も少なくないのだろう。「笑顔の作り方」なる講座への参加者が急増しているのだという。
マスクた私たちに表情をつくらずに済む状況が与えていたように、私たちの振る舞いや普段の生活は想像以上にモノからの影響を受けている。これを「アフォーダンス」という。私たちをアフォードするのはマスクなどの「モノ」とは限らない。肩書きや役職といった「ロール」もそのひとつである。私たちはたくさんのロールを着替えながら毎日を過ごしている。会社では「会社員」のロールを纏い、帰りの電車では「乗客」となり、帰宅した我が子の前では親になる。言い換えれば、未知の「ロール」を積極的にまとうことで、自らの考えや行動を再編集することができるようになる。
コロナが5類移行した同日、イシス編集学校では新しいロールに袖をとおした人がいた——これまで花伝所で長年「花目付」を担いつづけてきた深谷もと佳である。
ロール名は「花傳式部(かでんしきぶ)」。校長・松岡正剛による命名だ。松岡校長が27冊目の千夜千冊エディション『源氏と漱石』で「比類のない表現編集力」と絶賛する『源氏物語』を著した紫式部を思わせる、世界にひとつだけのネーミングである。
「花目付」ロールを任された頃から「名付け(ネーミング編集)」の力を体感していた深谷は、拝命から24時間を満たない5月9日の夕方、エディストで新連載「花伝式部抄」を書きおろした。まず、エディストというウェブメディアで「花目付」から「花傳式部」へとお色直しを施したのである。「学衆」から「師範代」へとロールを着替える「花伝所」の花傳式部として、ロールチェンジを恐れないカマエを自ら実践してみせた。
深谷式部に言わせれば「編集学校のロールは役割がはっきりとは規定されていない。むしろネーミングというかたちで「型」だけて置かれている」のだという。錬成師範・番匠・学匠・このように明確に規定されていないロール名ばかりのイシス編集学校の中で、「師範代」は、花伝所という養成講座が用意された唯一のロールともいえるだろう。深谷式部は入伝式に集う24名の入伝生へ、次のような言葉を贈った。
1.「名付け」とは世界モデルを授かること
感門之盟で最も盛り上がるのは教室名発表だろう。なぜなら何かが新しく誕生する瞬間だから。教室名発表の儀式そのものも「冠界式」と名付けられている。教室名が与えられるとは、「世界モデルを授かること」。花伝所を放伝(修了)したら、師範代となり教室名を受け取ってもらいたい。
2.相手や環境からのアフォードを積極的に編集可能性にしてほしい
アフォーダンスに対して、こちらから積極的に動いて可能性を捕まえてほしい。新しい服に袖を通すときにその着心地を確かめるように。あるいは座っているときに無意識に楽に座れる可能性を探りモゾモゾと姿勢を動かすように。花伝所でも、今までの自分にとどまらずに、向こうからやってくる側の編集可能性を掴むために、大いに試行錯誤してほしい。
「紫は避けて、白を選びました。どの色にもなれるように」と深谷花傳式部。白を基調としながらも、花伝所の道場カラーである紅・紫・山吹・若草の全てを包含する草花が全体に散りばめられている。装いでも新ロール名を見立てた。
既知から未知へ。マンネリからイノベーションへ。マスクを外した24名の入伝生は、次にまとうのか。装いも新たに、39[花]がはじまる。
入伝式には17名の入伝生が本楼に集った。入伝式にこれだけの入伝生が揃ったのは、2019年の秋期講座(32[花])以来。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。