38[花]一目ぼれの電圧を測る

2022/11/10(木)17:05
img JUSTedit

一目ぼれには「電圧」がある

 

「安堵のため息の生暖かさを計る」
「純真を保つために必要な白色の量を量る」
「一目ぼれの電圧を測る」

 

絵本作家・工藤あゆみ氏の本、『はかれないものをはかる』に出てくる言葉だ。挿絵には、人のような犬のような主人公が吐く赤いため息。たくさんの白色の瓶。びりびりと一本降りてきた電流。こうした「はかれない・はかりしれない」と思うものさえ温度として、色の量として、電圧として取り出されてみてこそ、その様子が、その程度が、浮かび上がってくる。

 


見えないものも測る「メトリック」

 

11/7、花伝式目演習も3週目に入り「M3 メトリック」稽古が始まった。Metricとは測定基準・測度そのものを指すが、編集工学でのメトリックは「測度感覚」を指し、花伝式目では「程(ほど)」と呼ぶ。

 

演習では、学び手の考え方や取り組みよう、回答にあらわれた意味を読み取るために、いくつものメトリックを引っ張り出しては重ね、その特徴を分析する。道場生は今まさに、首っ引きで取り組んでいるところだが、回答にせよ教室にせよ、どう分け入るか、その分かれ目をどう設定するかが肝となる。

 

メトリックとは畢竟、どんなモデルで情報を分節化するかという、検討と決断の方法である。

37[花]調子はどうだい? 花伝式目演習第三週:メトリック(程)


もう一歩、メトリックの奥に入っていこう。まずは分節してみる。

 

ひとつには、いろいろなハカリ・モノサシ=「測度基準」を重ね、対象を多様に「見方づけ」して、広く深く可能性を探ること。

あるいは、やわらかな目盛り立てで、対象の「動きの様子の按配」をダイナミックに・きめ細やかに測り、機微を捉えること。

 

これら丸ごとを「メトリック」とみてみたい。ともに柔軟で多層なほど、解像度鮮やかに対象の可能性を取り出せるだろう。

 


「程」のホド


測度感覚。そう、測度そのものではなく、感覚。度合いを測るという感覚。ここに「程」という語が合わせて置かれる訳もある。「ほどほどにする」「程よく仕上げる」「ホドをみる」などと使う「程」。頃合い・程度・余地・按配とも言い換えられそうだが、踊りにみる「程」の言葉を引いてみる。

 

世阿弥はそこを「動十分心、動七分心」と言った。
大きな前提に「動かない」という否定がある。
そこからちょっとだけ「程」というのものが出る。
その程を少しずつ「構え」というものにする。

325夜『踊りの美学』郡司正勝|松岡正剛の千夜千冊

 

程は、出てくるのだ。動かないでいたところにふっと出るもので、間とはまた違う。構えの前にあるもので、機の到来の予感、とも言えるだろうか。見えないけれど、ふっと余地ができて、物事が始まる。その機の予兆を捉える。機の到来具合、成熟度合い、分かれ目の気配、差し掛かりの程度を測る、とだんだんイメージが開いてくる。この「程」は、余地に近く、身体的なもの。アフォーダンスそのものとも言えそうな。


と、こうして言葉に尽くしてみるけれど、なかなか捉えられない、でもわかる、という「程」。ここが難しい。

 

先日のAIDA Season3で 社会学者の大澤真幸氏が語っていた。

言語経験として重要なのは肝心なことはなかなか言えないということ。

日本語で大切なところは表れていると同時に隠れている、表れきったと思ったらバーチャルに隠れている部分がある。

ヨーロッパの言語では明晰に言うことが重要で立派だけど日本語は初めからそうなっていて、歌というものになってくる。

日本語としるしの秘密は源氏物語にある AIDA Season3 第1講 10shot


歌のように何かに託すという方法、略図的原型や比喩によって、隠れたもの、数値化されない情報の「程」がいよいよ表れてくるとも言えそうだ。

冒頭の絵本のように、どんなものの状態もそのほどあいを掴んでは、すっと手渡せるというわけだ。略図的原型が微かに動いた情報の輪郭を際立てるから、程をつかみやすくなる。そこにアフォーダンスが生まれ、アナロジーが出立できる。電圧を感じてこそ、なのである。

 

 

やわらかく・幾重にも


M2モード稽古で扱った「スコアリング」お題のように、編集工学では柔らかなスコアやダイナミックなメトリックこそ、いつだって大事にしてきた。今期の千夜10夜でも「いそいそとする無上」と幸福を測り、「西脇順三郎って芭蕉」と、覚束なそうなのに、なるほどと言わせる按配が取り出されている。

 

もちろん、イシスの外でもメトリックは蠢く。筆者の働くデザイン事務所ではパッケージ案を前に「王道の飲み物としてはスンとしすぎ。もっとバビっと!」「俯いたデザインだね、胸を張ろう」。ずいぶんふわっとしているが、連想が動くのがわかるだろう。アイデアが今の番地をばしっと把握し、目的地へ颯爽と駆け出していく。

 

一目ぼれの主の電圧を感じればこそ、かける言葉やモードや、声がけの機を見極められる、どう動くかを選択できる。それがメトリックの力 ー

 

さて、これを読みながらもどんなメトリックが立ち上がっただろう。
さらにどう重ねてみようか?

 

ほかほかから熱々へ向かう四道場。式目稽古はまだまだ続く。

 

文 江野澤由美

アイキャッチ 阿久津健

 

【第38期[ISIS花伝所]関連記事】

38[花]フラジャイルな邂逅

38[花]集団の夢・半生の私 編集ニッポンモデルへ

38[花]膜が開く。四色の道場
松岡校長メッセージ「イシスが『稽古』である理由」【38[花]入伝式】

38[花]わかりにくさに怯まない 型と概念と問いのガイダンス

38[花]プレワーク 10の千夜に込められた[花伝所]の設計

  • イシス編集学校 [花伝]チーム

    編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。