38[花]道場生の刀・刀の道場生

2022/12/10(土)11:44
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「錬成場だからこそ何度でもやり直したくなる」
とは師範代を擬いた道場生Gの言。花伝所では錬成演習の真っ只中だ。こうした声たちに応えるように師範の相槌が鳴り響き、打ち合いが続いている。さながら作刀の鍛錬のようである。

いま叩いている刀の材料はダイヤモンドだ。ここ、イシス編集学校のダイヤは叩いても割れない。やわらかい(※)から。※守の編集稽古に「ちょっと不思議な『ありえない言葉』をつくる」というお題があり、題名を「やわらかいダイヤモンド」という。

 

これまで学んだ花伝式目と熱して叩いて、真ん中でボッキリ折って、また叩いていく。叩いているのか、折られているのか。

道場生の刀であり、刀の道場生である。何度も叩いて折り曲げて。ツルツルをケバケバにしていく、なっていく。

 

大人のビジネスパーソン諸君、君たちはゴミとムダがふんだんにまじっている仕事を合理化するあまり、人間というものをツルツルにしてしまっている。[…] それではいけません。あらためてケバケバを取り戻しなさい。

1540夜 『想像力を触発する教育』 キエラン・イーガン


錬成師範松永惠美子の相槌が打たれる。「学衆のイメージと師範代のイメージはズレがあっても良いのです。正解を探すわけではありません」 応えるようにツルツルの正解へと滑っていた槌が次第にケバケバとした可能性へ音を響かせる。不正解にみえていた違いやズレといった不足を包摂して叩かんとするからだ。

 

ぼくが評価する才能の大半は[…]ほとんどネガティブ・ケイパビリティ(負の包摂力)に連座するものである[…]この才能は「安易な答えに走らない」という編集信条に支えられているもので、それこそはぼくが培ってきた編集力の大事な正体でもあるということだ。

1787夜 『ネガティブ・ケイパビリティ』 帚木蓬生

 


ときに異質な音が交じる。全演習の終了が12月11日と間近であり、これまで取り組んだ演習M1~4の叩き直しが並行しているのだ。式目演習を往きつ還りつ、そこで相槌を構える師範が違い、ときに指導をも交じる。

 

編集力は一問一答でも一問多答でも多問多答でもなくて、複問・複感・複応・複答・複返であるということになる。かつて詩人の岩成達也は、このようなエッシャー風の行ったり来たりを「半開複々環構造」と名付けたものだった。

1787夜 『ネガティブ・ケイパビリティ』 帚木蓬生

 

るつぼと化した鍛錬が焼入れを迎える。そこで各々の刀に唯一無二の刃文を浮かび上がらせるだろう。だが、まだ終わりではない。道場生は刀の研ぎ、花伝式目の仕上げに向かう。

 

研がれ磨かれし刀身はどんな輝きを魅せることだろう。

 

 

文 蒔田俊介
アイキャッチ 阿久津健

 

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  • イシス編集学校 [花伝]チーム

    編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。