この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

さし掛かる入伝生・仕掛ける師範代
6月5日(日)、各道場でM4の出題とともに、これまで取り組んできたM1モデル、M2モード、M3メトリックの演習を振り返り、自己評価をする中間スコアが入伝生に課された。花伝所の5M演習は、早くも折り返し地点にさし掛かった。
さし掛かる入伝生が取り組む演習M4はマネージメント。といっても、
マネジメント・モデルなんていらない。
と言われてしまうような管理するモデルではない。営にして、掛である。花伝式目にはこうある。
一般的なマネジメントと違うのは、一連の流れすべてを〈編集〉ととらえて、守破の編集術と式目の型を総動員して場に向かうことです。3Aを躍動させてイメージメントをおこし、メトリックをもってマネージメントに臨みましょう。
[花伝式目]M4【Management】総論
M4演習の仮留めを始めたやまぶき道場のTから「また、メトリック!マネージメントもメトリックか!!」と声があがった。
そう、マネージメントは、
わかりやすく決められ当てはめていく、主語的なものというよりも
わからない対象にメトリックをもって臨む、述語的なものだ。
となると当然、使う主たる方法もロジカル・シンキングではない。
これに対して、アナロジカル・シンキングという方法がある。連想性をいかし、「飛び」や「意外な発想」をおもしろがり、推論中に保留された事項や計画を捨てないという方法だ。ロジカル・シンキングは演繹法と帰納法を常套手段とするのだが、アナロジカル・シンキングは第3の推論の仕立てとして「アブダクション」という方法をいかす。
メトリックを持って、アブダクティブなアプローチで、場に、学衆に、自らに、統制ではなくゆらぎを仕掛けていく。まるで、あそこ!と思い切って自らまるごと投げ入れてしまうかのように。すると、水平に制された水面に波紋が生じる。仕掛けたゆらぎは往還運動のなかで勢いを増す。波立っていく。往く波と還る波とが重なり増幅される。往還のノードとなるのはたくさんの私である。
むらさき道場のMが吐露した「自らの『守』での師範代とのやりとりから多くを学び直している」ことは最たるものの一つだ。学衆だった入伝生と師範代の問感応答返は営々と続いていたのだ。フセられた仕掛けをアケ、出身教室のミームを受け取り、入伝生は師範代を擬いて自らに仕掛けていく。そうしてトランジションしていく。
もう入伝生はみな、次なる営々とした問感応答返に向かっている。
文 蒔田俊介(錬成師範)
アイキャッチデザイン 阿久津健(錬成師範)
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。