この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

枯れ井戸に寺の境内、川の渡し場。どれも能の舞台である。能では、旅人や僧侶などのワキが登場した後、鏡の間から長い橋懸りを渡って生き霊などのシテがやってくる。異界の者であるシテはみな残念や無念を抱えている。世阿弥は、なぜこのような残念さえも能に持ち込んだのだろうか。
【負を編集契機ととらえた世阿弥】
10月23日の第36[花]入伝式。花伝所はイシス編集学校の編集エンジンのギアたる編集道の「代」(師範代)を創る唯一の場である。1週間前のガイダンスで身なりを整えた受講者たちは、[破]や[離]から[花]へと乗り換え、入伝式で花伝生へ一気に着替えをし、花伝式目へと持ち変える。
舞台となる本楼に向けて、一歩、また一歩と踏みしめつつ松岡校長があらわれる。本棚劇場の中央に立った校長は、「世阿弥」「花伝書」「時分の花」「嵩(かさ)と長(たけ)」といった基本となるコンセプトを連ねていく。
「花伝書」とは、世阿弥による日本ならではのトレーニングバイブルであり、言葉や体の曲(くせ)と戦い、本来目指すべきものを示す指南書である。その目指すべき最高の位を世阿弥は「闌位」と名付けた。
「闌位」へ向かうために、松岡校長は「かまえ」と「はこび」を大切にしなさい、という。「かまえ」とは自らの中に潜んでいるエロスや死、憎悪などを消さないでが立ち上がるようにすること。「はこび」とは、喜びや悲しみ、惑いなどを消さないこと。
このように、世阿弥は負や残念を編集契機ととらえ、稽古の型や複式夢幻能のシステムに取り入れていたのである。編集工学においても幼な心や負も含めて情報として扱い、編集の対象としている。
こうした「かまえ」や「はこび」を成す型が、能における「二曲三体」であり、編集学校における編集稽古である。ちなみに二曲とは歌と舞、三体とは老体・女体・軍体のこと。歌舞においては、装束と仮面を身につけメイクアップを施す。
松岡校長の入伝式のファッションはゴルチエのダブル。濃いブルーの裏地には漢字があしらわれている。「服装も毎日の天気予報のようなままではいけない。入伝式という舞台に合わせて都度つくりなおすこと」(松岡校長)
【「初心忘るべからず」】
稽古とは古を考えること。原点に立ち返りながら行うのが稽古である。
松岡校長によると、能で用いられる楽器自体が、日々ゼロからコンディションをしていく必要があるという。例えば小鼓は適度な湿度が必要であり、反対に大鼓は素材である皮が乾いていないといい音が出ない、といったように。「初心忘るべからず」とは『大鏡』に残した世阿弥の格言である。
編集稽古は日々積み重ねてこそ。花伝生の7週間にわたる編集稽古がいよいよ始まる。
【第36期[ISIS花伝所]編集コーチ養成コース 指導陣】
校長:松岡正剛
所長:田中晶子
花目付:深谷もと佳、林朝恵
花伝師範:岩野範昭、吉井優子、岡本悟、中村麻人
錬成師範:美濃越香織、梅澤奈央、蒔田俊介、神尾美由紀、武田英裕、牛山惠子、尾島可奈子、阿久津健
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。