花目付が放伝生に託した「型」と「志」【35[花]敢談儀】

2021/07/31(土)22:00
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開幕以降、東京オリンピック速報でニュース欄がにぎやかだ。柔道の阿部兄妹の金メダルやフェンシング男子エペの団体金など初の快挙もあれば、無念の予選敗退や現役引退の報道もある。結果の如何を問わず、アスリートたちはオリンピックという節目をへて新たな一歩を踏み出している。

 

 

ロールをきがえ、ミームをリレーする

 

イシス編集学校にも節目がやってきた。7月31日の敢談儀である。35[花]は22名が放伝を迎えた。

 

花伝敢談儀は、放伝生が師範代へと一段ロールチェンジをする表彰式であり、これまで受け継いだミームを次の学衆へつなぐ聖火リレーでもある。花伝所の終わりであり、同時にはじまりでもある。

 

敢談儀の冒頭、三津田知子・深谷もと佳の両花目付が、5月からの道場稽古をやり抜いた放伝生へ寿ぎのメッセージを寄せた。

 

 

今福龍太からよみとく「型」の可能性

 

三津田花目付は、敢談儀の場で編集的先達をモデルに「型」の可能性を一貫して伝えつづけてきた。コロナパンデミック下の33[花]では急激な近代化に葛藤する夏目漱石を、34[花]ではJ・G・バラードの方法をリバースエンジニアリングしている。

 

35[花]で選んだのは今福龍太だった。三津田は今福の『宮沢賢治 デクノボーの叡智』を読み解く中で、今福がロラン・バルトのテクスト解釈を「型」に賢治作品を読み込み、賢治ならではの方法を「デクノボー」というニューワードで再編集していったという、そのプロセスに注目した。

 

今福龍太『宮澤賢治 デクノボーの叡智』(新潮社)。34[花]の師範選書として校長が選んだ一冊でもある。

 

今福は、賢治のテクストを読み込む中で自己を見つめなおし、価値観をときほぐし、新たな自己へ向かっていった。三津田はこのプロセスこそ「自己編集」にとって重要であり、師範代モデルの発生そのものなのではないかととらえた。

 

花目付の三津田の編集的世界観は、そうした「型」への確信が根底にある。

 

今福は、バルトの型によって宮沢のテクストから新しい可能性を引きだした。同様に師範代も編集工学の型をもって学衆の回答から新しい創発を生み出せる。今日の敢談儀でも、今までの道場での学びのイメージを脱構築し、新たな可能性に向かう場にしてください。(三津田)

 

 

花伝所の3つの「志」

 

そもそも「師範代認定」とは「師範代ロールを担う意思のある方は是非手を挙げてください。その『志』を編集学校をあげて全力で応援します」という、師範代の志に対する意味である。

 

「志」は方向性をもつため、どの方向に向かうかが重要になってくる。吉村林頭は編集工学における志の方向づけとして「6つの編集ディレクション」で掲げている。

 

それでは、花伝所における「志」とは何か? 深谷花目付は次の3つを掲げた。

 

1.「師範代モデル」の習得

2.「エディティングキャラクター」の発露

3.「エディティングセルフ」の自立

 

深谷花目付がとりわけ強調するのは「1.」である。

 

「師範代モデル」は、花伝式目を学ぶだけでも、単に師範代ロールを担うだけも身につけられるものではない。イシスの編集稽古が「型」によって「型」を学ぶように、「師範代ロール」という「型」によって「師範代モデル」を身につけていって欲しい。これが深谷花目付の放伝生への切なる願いである。

 

そもそも深谷自身、「型」への好奇心をもち、問いを立て、編集工学に根ざしたアウトプットをつづけてきた。33[花]では「学ぶとはどういうことか?」を英雄五段階構造で語りなおし、「編集稽古における言葉の密度と冗長性」への関心から、道場での発言の様相を独自の切り口で分析する「ISIS版セイバーメトリクス」ともいうべき新たなスコアを29[花]からつくりあげていた。

 

花目付ロールを担った34[花]からはじめた「週刊花目付」の連載も、「花目付モデル」を身につけるための実践のひとつだったのだろう。

 

制服やユニフォームでも、100人いれば百者百様の『着こなし』がうまれます。同じように『師範代モデル』という型をつうじて、みなさんそれぞれのエディティング・キャラクターを花ひらかせていってください。(深谷)

 

敢談儀の「ライブ性」や「ツール」の細部まで注意のカーソルを向ける深谷花目付。今回は黒板にプロジェクターを投影した。ヘアカラーも放伝生のハレの日にあわせて明るめのピンクに。マスクも桜色と、同系統でそろえていた点も見逃せない。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。