第150回伝習座速報「世間の志から古今の志へ」吉村林頭メッセージ

2020/04/05(日)20:00
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1.編集は、「可能性を増やす」方向にむかう
2.編集は、「新しい価値・意味」をつくる
3.編集は、「人や場を生き生き」とさせる
4.編集は、「ものごとを前に」すすめる
5.編集は、「与件から」はじまる
6.編集は、「よくよく練られた逸脱」にむかう

 

編集学校で密かに知られている「6つの編集ディレクション」だ。

 

吉村堅樹林頭は、「提言というよりも契機の言葉です」と前置きしてメッセージを始めた。

 

「特に[破]の稽古では『5.』このことを強調していいと思う。

 文体編集術も、まず本ありきで、単に自分が書きたいことを書くわけではない。
 クロニクル編集術もすでに起こったことを編集していく。
 物語編集術も翻案をされるべき映画を型とし、物語を創文する。
 プランニングでは選んだ千夜千冊が与件となる。

 

 学衆にとっては、[破]とはこうした与件からはじまる編集稽古である。」

 

では師範代や師範への与件はどうか。

 

「コロナウイルスのパンデミックを抱える今だから出てくる回答もある。

 またイシス編集学校としては20周年の年でもある。

 [守]の冒頭メッセージでも話したとおり、師範代はこうした与件を引き受けながらチャンスにしていって欲しい。

 

 師範とすれば、文体編集術で木村月匠へのインタビューをしてみたり、

 クロニクル稽古にイシスの20周年史を重ねるなど、色々な可能性がある。」

 

編集へ向かうエンジンはどこにあるのか。

 

「イシス編集学校にはカノンはないけれど、『志』はある。

 固定的なターゲットはないが、方向性はある。」

 

「志」の字義は、足跡の下の心。ある方向に差し掛かる動向を指す。

千夜千冊1489夜 佐藤一斎『言志四録』を引用しつつ「言志」へ至る。

 

「6つの編集ディレクションは判断の軸でもあるし、編集方針でもある。

 その志を言葉にして隠さず表明していくこと、場に放ち続けていくことが『言志』だ。」

 

さらに一斎の千夜千冊を共読する。

 

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 一斎は、世の中に「世間の志」を「古今の志」とするのがいいと奨めるのだ。

 「世間の志」は散らばって報道される志だから、これにいちいち目を奪われて一喜一憂していると、せっかくの志も定まらない。
 そこで、その志に「古今の志」を入れこむのである。

 自身で古を尋ねて、それを今とするのだ。このとき言葉を貫く。

 世間に古今を入れるための言葉を磨く。

 一斎はこのように考え、「世間」から「古今」への転換をはかることこそを「学」と呼んだのだった。

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「世間の志」から「古今の志」へ。

 

「『世間の志』は状況に応じて動いていく。

 世間の評価や価値観は変化する。ブレていく。

 だから正解や正義を世間に委ねるのは危険。

 

 古今への転換とは、本来から将来へ向かうことである。

 志を持ち、地を今に、その先頭を44[破]が切っていく一座となって欲しい。」

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。