第150回伝習座速報「師範代に贈る編集稽古の4つの重点」相部番匠メッセージ

2020/04/05(日)16:28
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150回44[破]伝習座。

佐々木局長からのメッセージに続いて、相部礼子番匠が師範代にとっての編集稽古の4つの重点を伝えた。

 

1.合わせ・重ねを意識する。

 [守]の基本から、応用・実践の[破]へ。

 [破]は自分のメッセージを実践的に出していく場。
 そのための型を自ら意識的に選んでアウトプットする。

 

 型を意識的に用いる学衆は後押しを、無意識の学衆には方法を取り出し実感してもらう。

 そのために必要なのが「編集用語」。
 編集用語は教室での共通の地となるもの。稽古を通じて、[守]の積み重ねで共有した地を活かして、さらに豊かにしていってほしい。

 


2.学衆メトリックを意識し、別様の可能性を見出す。
 再回答や推敲は、学衆の別様の可能性を出すためにある。
 文体編集術の「5W1H」と「いじりみよ」の稽古は突き詰めていくと正解に向かいがちだが、それではいけない。

 そもそものテーマ設定に問題があれば、時にネタを切り替える勇気も必要。

 再回答を遠慮することは、別様の可能性の機会を潰すことにもなる。

 

 再回答・推敲を促すかの判断は「別様の可能性に繋がるかどうか」。

 そのメトリックを意識して差し出せば、別様の可能性は動き出す。

 指南が学衆の変化のきっかけになる。これこそ指南の醍醐味だ。

 

 

3.学衆は全ての場に投じ、師範代は全ての場を生かす。
 勧学会は状況確認やリズムをつくるだけではない。

 [破]では、稽古から少し離れて編集術を語り合える場にもなる。
 将来の学衆へのメッセージも残したい。
 別院の編集術レクチャーも、師範代の言葉でのいいかえを。

 師範代が場を引き受ける編集は、学衆にとって何よりの編集の実践である。

 

 

4.破から広がる編集的世界観を指し示す。
 世界は編集に満ちていること。編集的自己を学衆と一緒に感じること。
 学衆が編集的世界観へ向かうために、師範代はよきガイドであれ。
 期中に生まれる校長の書籍や千夜千冊、エディションなどを契機に。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。