46[守]伝習座「世界の方法の全ては[守]にある」康代学匠・佐々木局長メッセージ

2020/12/05(土)17:00
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[守]に通底する「情報編集の4つのプロセス」

 

今、この記事を読んでいるということは、たまたまであるにせよ、明確な目的があるにせよ、何らかの手順を経てこのページにたどり着いたといえる。突然だが、どのようにこの記事に至ったか、そのプロセスを説明することができるだろうか?

 

おそらく部分的には説明できる人はいても詳細に語り尽くすことができる人は稀だ。このように、日常の行為の多くは想像以上に無意識的になされていることが多い。

 

編集工学では、このように無意識的になされる「ブラックボックス状態」を、「1.情報の見方→2.情報の関係づけ→3.情報の構造化→4.情報の表現」という情報編集の4つのプロセスで捉えており、各プロセスをさらに分節化しながら再編集に向かう。そのための方法が編集術であり、編集工学の学びの入り口である[守]では、38のお題を通じて編集術を学ぶ。

 

 

[守]には世界の方法が詰まっている

 

「以前の伝習座で、松岡(正剛)校長は『[守]でのお題づくりにあたり、世界の祝祭からルネサンス、オリンピックから懐石料理まで、全てをトレースした』といった。つまり、[守]の編集稽古には世界の方法が詰まっている」

 

用法2「情報の関係づけ」の稽古も後半に差し掛かる12月5日(土)、46[守]伝習座の冒頭に康代学匠はこう語る。本棚劇場前の机に座り、直前まで伝える言葉を選び続けていた。伝習座ではどうしても師範代が自分の学びに閉じがちになるため、その日その時に世の中の動向や編集学校の稽古模様を、必ずメッセージに含めているという。

 

康代学匠は、緊急事態宣言中の5月の伝習座で「今後プロフィールが失われるのではないか」と懸念し、6月の伝習座には「仮説領域に自分を置くための『想像力』」を掲げていた。46[守]の稽古ぶりや回答を見ていると、最近は言葉に繊細だと感じており、言葉のけばけばした部分がどうしても伝わりにくく、ストレートな表現が目立つという。これもプロフィールや想像力の不足の表出といえるかもしれない。

 

BPTのプロフィールを多様にする想像力。そこに向かうプロセスが編集稽古の中にあると確信する康代学匠は「今まで考えていたあらゆる編集を更新する日にして欲しい」と締め括った。

 

 

編集学校をみている方が世界がわかってくる」

 

佐々木千佳局長は、冒頭メッセージで松岡校長のこの言葉を差し出した。

 

世の中の変化をマークしたり分析したりするより、約10人の学衆が集う「最小多様性状態」のISISの教室模様を見た方が世界の方法が掴める。型に立ち返り、表層・中層・深層を行き来し、アーキタイプ・ステレオタイプ・プロトタイプを辿るとどんなものでもつなげられる。

 

局長はほぼ毎回伝習座での冒頭挨拶を担当しているが、常に今日へのさしかかりを引き受け、言語化し、伝習座を方向づけるメッセージを託している。「この(方法によっていかようにも世界と繋がれるという)イメージを師範代に実感して欲しいし、指南などでも具現化して欲しい」と期待とエールを贈った。

 

 

アナロジーとアフォーダンス、アブダクションのシソーラスを拡張する「3A革命」をテーマに掲げた本日の伝習座。

 

中村麻人師範による用法3講義「アナロジーの言語化・モデル化・再魔術化」、武田英裕師範による用法4講義「見方と言葉で創る世界」をはじめ、ハワイ在住の渡辺恒久師範による英語による用法語りや千夜千冊エディションを方法で紐解く「エディション語り」など、師範陣が惜しみなく方法知を共有する一日となる。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。