45[破]伝習座「50グラムの勇気を携えて」原田学匠・中村評匠メッセージ

2020/11/28(土)16:00
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今、物語ること奪われている

 

[守]で3Aといえば、[破]では3M。メッセージとメディアとメソッドの頭文字から取っている。メッセージとはイメージや伝えたい内容を表現した言葉で、その奥にはヴィジョンやコンセプトが眠っている。メッセージを媒体であるメディアが運ぶ。二つのあいだをつなぐのが方法・メソッドだ。

 

「今、物語ることが奪われている」

 

ちょうど半年前、全国の緊急事態宣言解除から間もない44[破]伝習座の原田学匠のこの言葉は、まさに物語るメッセージやメソッドが欠如した現状への「ヤバさ」の吐露だろう。

 

半年を経た今はどうか。文体編集術の集大成となるセイゴオ知文術のエントリー作品について、中村正敏評匠は11月28日の45[破]伝習座でこう総評する。

 

「一言でいえば不自由な感じの作品が多かった。そのために、メソッドを通じてもっと自由に想像力をふくらまして欲しい」

 

メソッドそのものが知文術の目的ではない。800字の中で学衆らしいメッセージのあらわれる文章にすること。師範代は「最初の読者」として3つのMや地と図などの視点から指南を手渡していく。

 

長年にわたり[破]のAT賞を担当する中村正敏評匠

 

「学びの消費」から「ふたたびメソッド」へ

 

「『学びの消費』という言葉もあるように、新型コロナウイルスの影響で情報を受け取って処理するので手一杯の学衆も多いかもしれない。編集学校の特徴は、単に情報を処理するのではなく、メッセージをパブリックに読んでもわかるようにしていく『方法(メソッド)』にある。この人・この時・この理由だからこその『メッセージの突出』を編集稽古で目指したい」(中村評匠)

 

***

 

一旦は減少していた新型コロナウイルスの新たな感染拡大を受け、師範代はリモートでの参加を余儀なくされた。開催二日前の、苦しい判断だった。

 

「二週間前だったら師範代のみなさんと本楼でお会いできたかと思うと、やはり悔しい」(原田学匠)

 

メソッドが重要なのは創文だけではない。リモートワークやオンライン会議が日常化し、家庭内の過ごし方も変わり、東京都知事からは三度目の飲食店の時短要請がつい本日なされた今、伝習座という場にも「正解」はなく、方法・メソッドを試み、更新をしつづけていく。

 

 

千夜千冊エディション『物語の函』や『方法文学』に収録された文学作品が並ぶ

 

 

会場も物語編集術講義(写真上)からプランニング編集術(写真下)へ場面転換する

 

原点は「50グラムの勇気

 

今期45[破]には通奏低音として「50グラムの勇気」が流れている。

これは千夜千冊500夜のジャコメッティ『エクリ』での松岡校長の突出したメッセージであり、初回の10月3日の文体編集術レクチャーで、野嶋師範がこの千夜にひめられた校長のメソッドをリバースエンジニアリングした。

 

エクリの精神である「あいだ」に分け入る勇気を「50グラムの勇気」と突出させたこの千夜は、校長自身も「編集精神の原点にあるもののうちの、そのなかでも最もフラジャイルで、かつ『マイナスの哲学』に富んだ一冊」と書き記しており、自己編集から相互編集へ向かう[破]の編集稽古の原点に当たる一夜でもある。

 

「編集工学のお題のおおもとは開校以来変わらないが、半年ごとに師範代が全取っ替えするシステムは他にない。プランニング編集術で言い換えれば、変わらない共用フォーマットと変わる変換フォーマットの両輪を動かすのがISIS編集学校らしさ」(原田学匠)

 

本楼の舞台転換や舞台の転換も、伝習座のメインイベントである編集術レクチャーでも、「回答と指南」「リアルとオンライン」「hereとthere」といった数々の「あいだ」へ向かう当期メンバーの勇気に根ざしている。

 

本日の45[破]伝習座では、千夜千冊エディション『物語の函』『方法文学』を「裂け目」をキーワードにひもとく大場師範による物語編集術、Hyper Editing Platform [AIDA]のリバースエンジリアリングした福田容子師範によるプランニング編集術の両レクチャーが控えている。

 

オンラインで参加する師範代のメッセージに応じる師範・番匠・評匠

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。