本條秀太郎の“三味一体”(しゃみいったい)  ナゴヤ面影座

2019/11/03(日)22:57
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 まるで大工の親方のような風貌だが、奏でる三味の音は繊細だ。その裏声は艶やかで官能的だ。

 

 松岡校長に“日本の宝”と云わしめた本條秀太郎の端唄を聞きに豊田能楽堂に行く。すでに本楼での「イシスフェスタ」や校長企画の「三味三昧」などでお馴染みの音楽エディストだ。

 

 本條秀太郎のエディストぶりは、三味線の技と唄だけではない。島唄から労働歌、子守唄まで、日本中にうずくまっている民謡などをモーラ採集し、それを現代にアレンジし再生させるという「俚奏楽」プロジェクトが素晴らしいのだ。

 

 「俚奏楽」とは日本音楽の新しい流れとして1971年に本條秀太郎が創作した学派だ。「俚」という一字を「田」・「土」・「人」と分けて読み、三味線音楽を日本民族音楽に再編集した。編集思考素でいうと、三位一体(三味一体?)にしたといえる。

 

 この日も最後に演奏された曲は、俚奏楽「露のいのち」だった。柳川流の地唄でしか使われなくなった細竿の三味線を、透けるほどの薄い撥で、爪弾いていた。2019年11月4日(月祝)には、ナゴヤ面影座のスペシャルゲストとして登場し、熱田白鳥庭園で三味一座建立する。

 

 https://yattokame.jp/2019/specialmenu/880.html

  • 小島

    編集的先達:葛飾北斎。名古屋の旦那衆をつなげる面影座主宰。クセのある中部メンバーを束ねる曼名伽組二代目組長。本業は豆に定評のあるヴァンキコーヒーロースター代表。セイゴオ版画も手がける多才な情熱家。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。