【追悼・松岡正剛】専門に墜ちない知の輝き(佐藤良明)

2024/09/25(水)08:00 img
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 松岡正剛氏が生を享けたのは終戦の前年。その後の80年を生きられた。1944年の生年から逆に80年遡ると幕末になる。明治維新の前年に生まれた人物として、夏目漱石、南方熊楠、豊田佐吉らがいた。それらの大物が近代日本を押し広げたのと単純に比較するわけにはいかないが、それでも、一度ご破算になったニッポンの知とまるごと関わり、世界との道筋を通すという氏の志は、まさしく文明開化の営みである。
 
 専門にこもらず、あっちの穴もこっちの穴も、どこもかしこも掘り返して、つかみ取ったものをつないで世に投げ返し、みんながそれぞれに組み立て直すことができるように計らう。ここには20世紀中葉のサイバネティックな系の思想が生きている。すべては編集だよ、と口でいうのは易しい。しかし、そこに工学と呼べるだけの原理を導き入れて筋を通す、起業までするというのはどれだけスゴイことか。それでいて難渋さはない。どこまでもポップに、テンポよく持続させつつ、20代から80歳までを、猛烈かつビューティフルに走りきった。
 
 その足跡は「千夜千冊」をもってしても、まとまるものではなかったし、1850夜まで書き続けてもおさまりきるものではない。氏がこの世を去ってからも、ヌラリと詰まった知と洞察のマトリクスから、新たな形が湧き出るように生まれ続けるだろう。まるで自然の営みのような再編集の運動は、著者の手を離れてからも、休まりはしないだろう。
 
 訃報に接して僕は、脚立に乗って本棚の最上段から「遊」のバックナンバーを取り出し、ジョン・ケージやルイス・トマスとの対談を読んだ。70年代に工作舎の本の何冊かをワクワクしながら読んだことが、ベイトソンの翻訳の仕事につながったとしたら、僕もしっかり学恩を受けている。で、何を学んだ? 生き方として何を学習(Ⅱ)した? 大学の英語教員という役回りの中で,僕は、文理にまたがるテーマから、ポップで明るい知の断片を取り出して『The Universe of English』というシリーズを編むことに燃えた時期がある。あの仕事に満足を感じる僕も、世にたくさんいるプチ・セイゴオの一人なのかもしれない。
 
 びっくりしたのは、「意識と情報のAIDA」(2023)の集まりにお呼ばれしたこと。合宿形式でベイトソンを語ってほしいとの任を受けて、初めてナマで見る松岡座長は、闘病中と聞いていたのに、存在の格好を少しも緩めていなかった。カッコイイことは、だれが何と言おうと、カッコイイのである。
 
東京大学名誉教授
佐藤良明
  • 佐藤良明

    1950年山梨県生まれ、群馬県高崎市育ち。東京大学名誉教授。専門はアメリカ文化・ポピュラー音楽。トマス・ピンチョンとグレゴリー・ベイトソンの翻訳・紹介を行うかたわら、ポピュラー音楽と表象文化論の研究を通し、NHK『リトル・チャロ』をはじめとするポップな英語教材制作に携わってきた。主要訳書にグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ』(岩波文庫、全3巻)、トマス・ピンチョン『重力の虹』(新潮社、全2巻)、ボブ・ディラン『The Lyrics』(岩波書店、全2巻)、音楽関係の著書に『ビートルズとは何だったのか』(みすず書房)、『ニッポンのうたはどう変わったか』(平凡社ライブラリー)など。デビュー作『ラバーソウルの弾みかた』の改訂版を現在準備中。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。