松岡正剛×隈研吾対談 10shot 前篇「代々木競技場に憧れて」

2020/09/16(水)15:02 img
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建築家 隈研吾氏と館長 松岡正剛による角川武蔵野ミュージアム竣工記念対談が9月5日に開催された。会場は当日オープンを迎えた「ジャパンパビリオン」。この日の対談が柿落としとなった。定員90名の入れ替え制で二部構成。チケットはあっという間に完売した。当日の対談の様子を前篇と後篇に分けて10shotでお届けします。

 

第一部 ミュージアムと建築

第一部「ミュージアムと建築」では隈さんの建築家としての最初の仕事に始まり、幼少期から建築家を目指すまで、そして角川武蔵野ミュージアムの方法論にまで及んだ。

 

松岡:ミュージアムの仕事が来て、どういうことから考えましたか?

隈 :NYのMOMAからスタートした20世紀的な文化システムの殿堂が美術館だった。僕が最初に頼まれた広重美術館や石の美術館はヒエラルキーに乗ってこない地方の小さい美術館。そういうところから始められたから20世紀的システムへのアンチテーゼがしたかった。そこからどういう風にシステムを破れるか。NYから始まる上から降りてくる文化システムに乗らないもの。例えば土地に密着した泥臭いもの。そういうものを起点にしたミュージアムがあり得るのではないかという方法を2つの美術館で学ぶことができた。

松岡「90年代に隈さんが出現してものすごい個性が誕生したと思った。隈研吾は構造主義やポストモダンに関わらないで出てきた感じがする」

「小さい頃は猫が好きだったから獣医になりたかった。小学4年生の時に建築好きの父に連れられて、丹下健三の国立代々木競技場を見た。聖なる空間という感じがした。こういう空間を作れる人、建築が作れる人になりたいと思った」

それから東京五輪の1964年から大阪万博の1970年の間に日本は大きく変化をした。高度成長のピークを迎え、公害問題が出てきて、高度成長のネガティブな部分が一気に出てきた時代が訪れる。その6年間に小学生から高校生になり、期待を膨らませた大阪万博で工業社会そのもののような建築を見てがっかりしたと隈さんは言う。

そこから箱的なものが持っている権威性や閉鎖性ではなく、大学院時代には土着的な匂いがする原広司に師事した。

「原広司を選んだのは際どいことをやったね。文化人類学に惹かれていたの?」隈さんが選択したターゲットからベースを紐解き、プロフィールが少しずつ明かされていく。

松岡:隈さんが根津美術館を改築された時に、僕は「日曜美術館」で解説を頼まれて。根津さんが8回くらい注文を出して、隈さんも毎回変更をかけたと聞いた。その時に隈さんは工学性を失わないでブリコラージュをし続けるのだと思った。

隈 :それでも出来上がったものはある秩序に基づいています。根津美術館の中に方法を見出した松岡さんは早いですね。

松岡:美意識はどうやって決めているんですか?割り材を石にしながら形を整えるのはデザインとして出てくる?

隈 :避けたいやり方があります。フレームとコンポジション。この2つは人為的な感じがしてそれを避けるという縛りをかけた。どう全体を統合するのかは粒子感なんです。1個の石が粒子になっていて、1個1個の粒子が粒立って主張している。

角川武蔵野ミュージアム入口

粒子感のある壁面

隈 :角川武蔵野ミュージアムは石の一番荒い仕上げである割肌でやっている。古代ローマからやっている方法ですが割肌の石同士がぶつかると変なギャップが出てしまう。でもそれを叩いて均してしまうとラインみたいになってフレームに見える。フレームの中にテクスチャーがあるようになってしまうと石の粒感がなくなるので石がぶつかったままにして欲しいと現場の人にも頼みました。だから粒が全部粒のままあるという状態ができた。

「それは角川武蔵野ミュージアムとともに語られていくべきことですね」隈さんのこの10年は画期的で絶好調だった。その1つの結晶が角川武蔵野ミュージアムにできたのは館長として嬉しく思う。

「第二部はもっと深い話になる」と会場に期待を残したまま第一部は締め括られた。

第一部を終え、控え室で軽く打ち合わせ

第二部に備えて『デザイン知』にマーキング

>>後篇「方法が多様なものを生む」

 

角川武蔵野ミュージアム竣工記念対談|隈研吾×松岡正剛

日時 ・・・2020年9月5日[土]
会場 ・・・ジャパンパビリオン ホールB (ところざわサクラタウン内)
テーマ・・・第一部「ミュージアムと建築」 第二部「方法とデザイン」
出演 ・・・隈研吾、松岡正剛
主催 ・・・角川武蔵野ミュージアム (角川文化振興財団)

 

角川武蔵野ミュージアム
https://kadcul.com/

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。