千夜千冊エディションが写真になるときープロカメラマン川本聖哉の仕事 10shot

2020/12/01(火)23:52 img
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 ーー メディアが変化しているときに誰が何をしたのかもっと見た方がいい。

 つい先ほど終了した「戸田ツトムのブックデザイン展オンライントークイベント」の終盤で松岡校長がそう話していた。

 では、千夜千冊エディションが”写真”になるときは誰が何をして、どんな変化があるのだろうか。

 

 「連塾」をはじめ長きに渡り、松岡正剛を撮影するプロカメラマンの川本聖哉氏。今期のHyper-Editing Platform[AIDA]のスチールも任されており、ここ数年は松岡著書の撮影も担当している。11月末日には過去3年間の著作を一気に撮影するという。なかなかお目にかかることのできない舞台裏。当日の撮影現場を10shotでお届けします。

 

この日は朝から一日がかりの撮影。午後からお邪魔すると本楼がすっかりフォトスタジオになっていた。千夜千冊エディションの関係線を考慮しながら丁寧に並べる太田香保総匠(右)と寺平賢司。

 

一旦並べ終えると本楼の照明を消し、いくつもの撮影用照明で本を照らす。影の写り具合や配置のバランスなど繊細な微調整をする川本さん。

 

「寺平さん、『宇宙と素粒子』を反時計周りで1、2分動かして」ファインダーを覗き、更に細かく本の顔をたたせる。

 

撮影・チェック、撮影・チェックを幾度と繰り返し、本の配置と使用するレンズを確定したら本撮影。僅かな違いを見極めて、18冊あるエディションのポジションを決めるのは至難の業。

 

次はバージョンを変えて、エディション総動員第2弾。大きなアクリル板が本の舞台となり、18人の役者が顔を揃える。

 

照明として懐中電灯が登場!ビニールを被せると柔らかな光となる。エディションたちを下から横から優しく照らす。

 

松岡校長も撮影現場にお立ち寄り。「本を開いて動きをもたせていい」と躍動感を演出する。

 

そして林朝恵師範による動画撮影。前から後ろ、後ろから前、そして蛇行しながら。息を飲み両腕を震わせながら一冊一冊を舐めるように撮る。

 

役者たちの顔もさる事ながら並んだ背中も美しい。それぞれ何のエディションだかおわかりだろうか。

 

エディションのあとは、英語になった『花鳥風月の科学』中国語になった『国家と「私」の行方』『編集手本』と撮影は続く。写真は蛇腹に開いた『編集手本』。

 

 午前からスタートした撮影は集中力を持続したまま18時過ぎに終了した。ここまで照明や配置にこだわり尽くし本を撮影するのはここだけですよ、と川本さんは言う。

 

 本にも表情がある。その表情はとても美しい。本が写真というメディアになるとき、そこには著者と作り手の想いと、その想いを理解するカメラマンといくつもの懐中電灯があった。

 

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。