本楼に集い、皆で焼こう!【大惨寺やきそば会】

2025/02/17(月)21:14
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 世の中から「B面」が消え失せつつある。

 

 A面・B面という言葉のもととなったレコードやカセットが廃れたからということもあるだろうが、それだけが理由ではない。

 

 「B面」という語の退潮は、そうした聴覚機器の変遷に由来するのみならず、むしろこの社会から「B面っぽいもの」や「B面的なことがら」が次々と息絶えていることの反映でもあろう。つまり、何ごとかを「B面」と名指そうにも、そう名指すべきものを見つけることが困難な社会を我々は生きてしまっている。

 

 イシス編集学校は、普段見せない個人のフェチやフラジャイルな心のさざめきなど、ことあるごとに「B面的なもの」が漏れ出る仕掛けを重んじてきた。そんなイシスの中にあって、さらに不合理な遊興をきわめている「B面の権化」が、ご存じ「シン・お笑い大惨寺」である(ご存じでなかった方はこの場で存じていただきたい)。

 

 大惨寺とは、いつでも・だれでも・どこからでも参加可能なお題のエンターテインメントだ。日頃はもっぱらバーチャル稽古がメインだが、来たる2月24日の月曜祝日、ひさびさにリアルへ繰り出し、豪徳寺本楼にて「焼きそば会」を開催する。B面にふさわしいB級グルメの王者焼きそばを、寄ってたかって焼き喰らう。

 

前回の焼きそば会模様についてはこちらから

 

 このたびの焼きそば会は、寺を取り仕切る出武将殿によって≪焼きそば比丘尼ック≫と命名された。「比丘尼」と言いつつ、そこに戒律は何もない。「ピクニック気分」で馳せ参ずれば、万事いっさい問題なし。

 

 これまでの焼きそば会でも数々の具材やソースが持ち込まれ、「パリパリ天嘉寿焼きそば」「白ワイン和えの欧風焼きそば」や「魅惑のパイナップル焼きそば」等々、他では見られない多種多様な焼き方が試みられてきた。はてさて一体今回は、どんな焼きそばが飛び出すか。B面・B級・比丘尼ック、B面・B級・比丘尼ック……。

 

 24日18時からが焼きそば比丘尼ックタイムとなるが、15時ごろからはコント収録(???)も行われる。ますます謎めく川向う大惨寺村に少しでも興味のある者は、金三千円片手に持って、とにもかくにも参集あれ!

文/アイキャッチ:白馬ッ苦連


●お笑い大惨寺・第3次やきそば会「焼きそば比丘尼ック」●

日程:2月24日(月・祝)
場所:豪徳寺本楼
時間:18時~焼きそば会
   ※15時のコント収録からの参加・見学も可
対象:Editcafe登録者全員
参加費:3000円

   ※お酒やおつまみや具材の持ち寄りも大歓迎です

➡詳しくは全員登録ラウンジ「シン★お笑い大惨寺」をご覧ください。

  • シン・お笑い大惨寺 遊夕番遊夕番

    編集的先達:一休宗純、川上音二郎、椿三十郎、四方赤良。イシスと社会の狭間に生まれし「シン・お笑い大惨寺」。この河原から毎夕声を発するは人呼んで「遊夕番」。時には抜き身の刀のごとくギラギラと、時にはヌメヌメ艶っぽく、この世もわが身も笑い飛ばす。髑髏を蹴飛ばしオッペケペぇ、雨降らば降れ風吹かば吹け。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。