晴れ舞台で校長メモ 42[守]感門之盟

2019/12/13(金)20:04
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 番匠の景山和浩は手が小刻みに震えるのを感じた。

 

 2019年3月9日、42[]の卒門を祝う感門之盟がDNP五反田ビルで行われた。卒門式の進行は司会の鈴木花絵と景山和浩。24[]以来の番匠ロールについた景山にとって、久しぶりの晴れ舞台だった。

 

 師範・師範代が入れ替わり立ち代わり登壇する中、どのタイミングでコメントを挟むべきか。景山は急に不安になった。手が震える。いっそのこと、黙っておいた方がいいのか。いや、司会の横で突っ立っているだけでは芸がない。隣の鈴木に尋ねるが、「何もしなくてもいいのでは」と返答は素っ気ない。進行で頭がいっぱいのようだ。

 

 悩んでいるうちに1組目の井ノ上師範チームが登壇。コメントの余裕なし。感門表が読み上げられる。降壇時しかチャンスはない。迷いながら、意を決して「井ノ上師範チームは」と声に出してみる。席に戻ろうとしていた師範と師範代が立ち止まる。下がっていいのか、迷っているようだ。

 

 2組目の感門表授与。少しホッとしていると、吉村林頭が近づいてきた。囁くような声で「校長からです」と1枚の付箋を渡された。そこには「間をあけず、すぐ話す」。何もかも校長にはお見通しだった。

 

卒門式での鈴木花絵と景山和浩。明らかに焦った顔をしている。

  • 景山和浩

    編集的先達:井上ひさし。日刊スポーツ記者。用意と卒意、機をみた絶妙の助言、安定した活動は師範の師範として手本になっている。その柔和な性格から決して怒らない師範とも言われる。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。